雑感-映画「KOREA」について
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映画「KOREA」について。
詳しい内容は(k)さんが書いてくれたので、私は観て思ったことを少し書きたいと思う。
私の周辺界隈では今回の特別試写会、結構話題になっていて期待の声も高かったのだが、感想は、一言で「残念」だった。
私は21年前の大会の試合経過やチーム構成など、具体的なことは何も知らずに映画を観たのだが、物語が進むにつれてどんどん頭の中が疑問符で埋まっていった。
正直序盤は感動的に観ていた。北と南の選手が初めて歩み寄る場面は、2000年6・15共同宣言以降始まった統一への歩みと重ねて胸が熱くなった。
だがその後のストーリーの展開や北と南の描き方は、脚色というレベルではなかった。試合経過を知らなくても、(これは事実なのか?)と疑心を抱くほどだったのだから。
単なる「娯楽映画」なのだとしたら、これを題材にしないでほしかった。南北朝鮮問題を題材にしたほかの韓国映画と比べれば、相対的には「まし」? 韓国映画でここまで統一を語れたら評価すべき? 私はどうしてもそう思えなかった。あの出来事は、朝鮮半島の分断史上もっとも輝かしい「統一史」の一つなのは言うまでもないが、21年前の千葉で、直接あの感動を分かち合った在日同胞にとって、異国で分断の痛みを味わってきた在日同胞にとっては、また特別な意味を持つと思うからだ。
私も現地で家族と一緒に観戦した。幼かったのでぼんやりとしか覚えていないが、場内の熱気だけは今でも覚えている。ものすごい同胞の数だった。当時のことを母に聞くと、史上初の統一チーム見たさに日本全国から同胞が押し寄せたと言う。中には入場券を持っていない人も大勢いたそうだ。母は、「あのときの会場の一体感はどう表現したらいいかわからないほど強烈だった」と話していた。
きっとあの出来事は、今でも多くの在日同胞に鮮やかな感動を呼び起こすだろうし、そしてその記憶は、統一への想いをつなげる希望なのだと思うからこそ、映画の出来が残念でならなかった。
題材が題材だけに、映画を観た多くの人が感動を覚えるだろう。しかし映画の内容を事実と受け取って、偏った視点で感動してしまうのかと思うと腹立たしい。また、日本での映画の公開は未定だそうだが、現在の朝鮮半島の分断状況と日本が決して無関係ではなく、日本の植民地支配と大いに関係しているという責任意識のない日本社会で、感動ドラマとして享受されるのだけは勘弁願いたい。
そういった意味でも、あのときの記憶をすべての朝鮮民族が分かち合えるような映画が、直接体験した人―在日同胞の視点からつくられることを願う。
鑑賞中、何よりも胸が痛く、情けなかったのは、現在の分断状況を思ってだった。鑑賞後、半世紀の分断史の反省を踏まえ、私たち朝鮮民族の一人ひとりが考え、行動し、新たな統一史を創造していかなければいけないと思った。(淑)
南北合作でない時点でアウト
実際に作品を見ていないのであれこれコメントする資格はないのかも知れませんが…。
この作品が南北合作でなく、南の単独制作である時点で、僕はアウトだと思います。
なぜなら、この映画は、実在した人物を主人公にしている以上、「シュリ」とか「ブラザーフッド」とか「JSA」などのように「この作品はフィクションであり登場人物は実在の人物とは何ら関係ありません」というクレジットが出せない性質のものだからです。
話は少しずれるかも知れませんが、南北分断をテーマに実話をもとにして作られた映画「シルミド」は、韓国で当時の最多観客動員数の記録を打ち立てる大ヒット作品になりましたが、シルミド部隊の遺族からは抗議を受けたそうです。映画の中で、シルミド部隊に入隊したメンバーが北の工作員の息子であったりヤクザ上がりの元死刑囚として描かれていたのですが、それは事実と違って、みんな善良な一般市民であった、この映画はシルミド部隊に対する誤解を招くものだ、という内容の抗議でした。
実在の人物をテーマにした映画というのは、それほど責任の重いものなのです。
南北分断をテーマに南の人間が想像力を豊かに働かせておとぎ話を作るのは勝手ですが、実在の(南北の)人物を主人公に描くのであれば、やはり北側の視点も入れて、事実に基づいた内容で描くべきです。
この作品は、その根本的な部分ができていなかったのではないでしょうか。
分断体制に安住したまま統一をテーマにしたノンフィクションを安直に作ってしまう。韓国映画界の悪しき商業主義なんでしょうかね。
実際に作品を見ていないのに好き勝手語ってしまいました(笑)
ウリハッキョサラン大阪 さん
ご丁寧なコメントありがとうございます。
おっしゃるとおり、実在の人物を描くなら、もっと本人たちに想像力を働かせなければいけないと思います。
南北共同で映画をつくれる日が早くくればいいですね。