平壌取材で大事なものとは
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今日は6月8日。普段であれば、イオの校了日を目前に控えて編集部内で朝から晩までバタバタと作業に追われている時期なのですが、今の自分は、というと、そんな日本での慌しさをよそに、朝鮮新報平壌支局のオフィスで当番のブログ原稿を書いています。
もちろん、こちらが暇をもてあましているわけではないのですが、取材現場では忙しく動き回っていても、オフィス内では自分一人なので静かなものです。平壌ホテル裏庭に面したこの部屋で日中に聞こえてくる音といえば、電話と、パソコンのキーボードを叩く音くらい。窓を開けると、裏庭の噴水の音やホテル従業員が作業する声が遠くから聞こえてきます。
ここにいると、一日の中でイオのことを考える時間がどんどん少なくなり、ともすれば自分が編集部員であることを忘れてしまいがちになる、と言ったらほかの部員は怒るでしょうか。今のところ、このブログが自分と職場をつなぐほとんど唯一の糸だと言っていいかもしれません(笑)。もちろん、イオ用の取材企画もいくつか持ち込んでいるので、これから本格的に取り組んでいきます。
朝鮮で取材するにあたって大事なこととは何か。いくつかありますが、自分の個人的な見解をいえば、その中でも一番のポイントは「言葉」だと思います(朝鮮での取材に限った話ではありませんが)。
ここでいう「言葉」とは朝鮮語を話せる、朝鮮語で現地の人と意思疎通できるという意味はもちろん、より重要なことは、党や国の政策に関する独特のタームを理解して公式メディアが伝えるさまざまな情報を読み解き、これらの言葉を自らも駆使して取材対象とコミュニケーションをとれるかどうか、ということです。
普段の日常会話ならいざしらず、さまざまな分野の事象を扱う取材活動では、当該分野に関するある程度の知識や独特の表現、言い回しに対する理解は必須でしょう。ただ、すべての分野に精通することなど不可能なので、ある程度以上のことは現場で説明なり解説を受けるしかありませんが。
そして、朝鮮では党や国の政策や路線、指導者の活動などに対する理解がとくに必要不可欠です。そこで登場する述語や表現、言い回しは辞書に出てくるのとは違った意味が与えられていたり、TPOによって解釈が微妙に異なったり、新しい言葉が生まれたりします。社会全体に対する党や国の政策の浸透度は他国に比べてかなり高いので、政治や外交、経済、文化芸術、教育などの分野の関係者取材の時はもちろん、工場の一労働者や学生の口からも言葉がすらすらと出てきます。なので、取材者の側もこれらのタームを理解し駆使できないと、取材対象から通り一遍のことしか聞きだせず、本当に知りたい情報に迫ることが難しくなると思います。
偉そうなことを書きましたが、自分がそのようにできているかと問われると、まったく不十分で、恥ずかしい限りです。つい先日もこれに関して「死刑宣告」を受けました。
現地案内員のYさんが私に向かって一言、「(相)くんはしばらく平壌に来ないうちに、言葉に詰まることが多くなったね」。かなりショックな言葉でしたが、傍で見ている人の評価なので、たぶん正しいのでしょう。元々、話術が巧みなほうではありませんが、以前はよどみなく、とは言わないまでも、問題ない程度には言葉が出てきたのですが…
Yさんから受けたアドバイスは、「労働新聞の音読」。確かに、音読することで独特の表現や言い回しが口になじんできます。仕事の合間を見つけてアドバイスを実行しています。たぶんそう遠くないうちに口が「平壌取材仕様」に戻ってくるでしょう。
最近足を運んだ場所で印象に残ったのは、市内の大城区域にある平壌中央植物園です。意外にも、足を運ぶのは今回が初めて。このたびの朝鮮少年団創立66周年記念行事に参加した子どもたちに同行して訪れました。写真撮影のために広大な敷地内を走り回って汗だくになったのですが、緑に囲まれた環境の中、すがすがしい気分になれました(子どもたちは植物園よりも、その隣の動物園のほうを楽しんでいましたが)。
そのとき撮った写真をいくつか。
仕事に疲れたときやリフレッシュしたいときにまた訪れてみたいと思います。(相)