沖縄と日本軍「慰安婦」 ~沖縄取材記②
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沖縄に滞在していた期間は毎日地元紙2紙(琉球新報・沖縄タイムス)に目を通していたが、新聞に「慰安婦」に関する記事が出なかった日は私の知る限り1日もなかった。また、「沖縄戦と日本軍『慰安婦』展」(於:那覇市歴史博物館、開催期間:6/15~27)は、同実行委員会と那覇市との共催(自治体と共催なんて東京では考えられない)。6月23日、魂魄の塔で行われた慰霊祭では、沖縄住民と同様に、日本軍「慰安婦」や朝鮮人軍夫の犠牲について日本の戦後責任を問う発言が何度もなされた。
一方今年3月、県は首里城公園内に日本軍第32軍司令部豪の説明版を設置。県は沖縄戦史の有識者で構成する設置検討委員会がまとめた説明文から、日本軍による住民虐殺の記述と、壕周辺での「慰安婦」の存在を示す記述を削除した。反対を押し切っての設置に、県内外で波紋が広がっている。
(日本軍第32軍司令部豪跡に設置された説明版)
しかしこのような動きの中でも、歴史を重んじる社会全体の傾向を、滞在期間に肌で感じた。特に日本軍「慰安婦」問題においては、戦時中、この小さな島に130ヵ所以上の「慰安所」が作られ、島全体が巨大な「レイプセンター」となったおぞましい経験ゆえ、現在も沖縄の大地に、個々の記憶の中に、消せない事実として深く刻まれているのだろう。
前述の「沖縄戦と日本軍『慰安婦』展」は、1944年3月、日本軍第32軍の沖縄配備とともに本格化した「慰安所」設置と、戦時性暴力被害を焦点に、沖縄における軍隊による性暴力の歴史をたどる内容となっている。 現在、東京・新宿のwamでも同様の展示が開催中なので、ぜひ足を運んでほしい。(http://www.wam-peace.org/index.php/tenji/sp10)
「沖縄戦と日本軍『慰安婦』展」
展示は一貫して女性の立場から編集されており、これまで「男性の歴史」に埋没されてきた女性たちの声を丹念に掬い上げている。軍の関与を決定づける具体的な資料と貴重な証言、戦後の女性たちの取り組み、成果についても紹介している。
とりわけ、沖縄における戦中から現在までの米軍による性暴力の被害証言集「沈黙の声-米軍の性暴力に抗して」は、1000件の被害の内容が、一つひとつ一人称(被害女性本人または家族、目撃者)で綴られていて、その凄まじい被害の実態はとても平常心で読めるものではなかった。
展示「沈黙の声-米軍の性暴力に抗して」
期間中には、実行委員会代表の高里鈴代さんを迎えギャラリートークが行われた。
実行委員会代表の高里鈴代さん
高里さんは、沖縄全土に1年間で延べ135ヵ所の「慰安所」が設置された経緯と背景、「慰安所」が必要とされた理由、日本軍「慰安婦」制度から米軍占領下へ変わる性暴力などについて述べ、質疑応答では、日本軍「慰安婦」制度に関する質問から、現在の性犯罪における罰則の問題点など、さまざまな議論が交わされた。
ギャラリートークへの参加者は150人。主催者の予想以上に、たくさんの人が来場したので、席を増やしてもまだ足りず、立ち見が出るほどだった。
翻って東京。ニコンサロンで開催中の「慰安婦」写真展をめぐって、救い難い現象が起こっている(参照:6/26日刊イオ)。騒動があった開催初日が、沖縄から戻った翌日だっただけに余計に気が滅入った。沖縄に流れる「現在」と、著しく歴史性を欠いた首都・東京の「現在」との落差を、うんざりするほど感じた。(淑)