運転手からの警告 ~沖縄取材記③
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今回はちょっとしたこぼれ話。
沖縄3日目。
当初の予定を急遽変更して、オスプレイ配備に反対する宜野湾市民大会が行われている宜野湾海浜公園へ向かった。道中、タクシーの運転手と交わした何気ない会話でも、沖縄の歴史観、「本土」への「劣等感」のようなものに触れることができた。
私が「台風、心配ですね」と 話しかけると、運転手は軽く相づちを打って、こう言葉をつなげた。
「沖縄には台風は『上陸』しないんですよ。以前沖縄に台風が直撃しているときにね、テレビのニュースでは『日本にはまだ台風は上陸していない』と言うんですよ。沖縄は嵐なのに。僕は沖縄は日本じゃないのかと怒ったんですよ。それで調べたら、気象用語では『台風の上陸』とは、台風の中心が北海道・本州・四国・九州に達したことを言うらしいんです。だから沖縄や諸島などの場合は、『通過する』だけで、『上陸』とは言わないんです」
なるほど。だが専門用語上の使い分け方なんて、どれほどの人が知っているのだろう。沖縄の歴史を考えるとき、この運転手のように沖縄差別と受け取っても無理はないのではないか。
今度は「出身はどちらですか?」と聞いてみた。他意はなく、ただ地域の話を聞きたいと思ったからだ。思ってもみない言葉が返ってきた。
「あぁ、僕の話し方が変だからでしょ? なまりがないから」
運転手は石垣島の八重山の出身で、 方言が強い地域であるにも関わらず「標準語」を話す自分はおかしいだろ、と言うのだった。
近代、沖縄では日本本土の言葉を強要し、ウチナーグチ(沖縄で古くから使われてきた琉球民族の言葉)を使うことを厳しく禁止した。教育現場では日本本土の言葉を習得させるために、ウチナーグチを使用した生徒は「方言札」をぶら下げられるという罰則制度まで設けられていた。
運転手に「方言札」について聞いてみると、「僕のおじいさんやおばあさんの時代にはそういうこともありましたね。『標準語』を強要される一方で、方言を話せないと沖縄の人からは排他的な目で見られたんです。そういったことは今でも残ってる」と、言っていた。
その他にも運転手は、私の言葉に敏感に反応して話を広げてくれた。車社会の沖縄では中古車が多く、中でも軽が圧倒的(維持費が安いから)だということ、失業率の高さや所得の低さなど。そして別れ際には、「僕も運転しながらオスプレイに反対するから、頑張ってね!」と、明るく送り出してくれた。
運転手と話しながら、想像以上に個々人に刻まれている歴史の重みと痛みは深い、自分の発する無意識な言葉が相手には暴力になり得るかもしれない、と怖くなった。(一方、私たち朝鮮人が普段「本土」で浴びせられる、「日本語お上手ですね」「いつ日本に来たんですか?」などの決まり文句の無神経さ、無自覚さ)
無自覚に相手に踏み込んで、簡単に知ろうとしてはいけない。ここではいつも以上に言葉に慎重にならなければ。そう思わせてくれた旅の序盤の出来事だった。(淑)
非常に重い
僕は、昔から沖縄に憧れてました。小学生の頃、母親に沖縄に行きたいと駄々をこねたほど憧れてました。でも、今までの僕は、沖縄の明るい面ばかり見てたように思います。これからは、沖縄の裏、というか、黒の部分も見なければならないな、と実感しました。沖縄の問題について、色々ごまかしてる日本の政治家達を見てると、ウチナンチュの方々に対して、申し訳ない気持ちが込み上げてきます。集団自決の問題に関しては、懺悔にも似た気持ちを覚えました。早く、ウチナンチュ達が真の平穏を享受できるといいですね。では、おやすみなさい。
言葉
私のように最近日本に来た韓国人は、日本語を上手く話せません(書くことは出来るのですが・・・)。
あなた達と私たちは同じ韓民族です。
日本人が「私は朝鮮人です」と言えば、新しく来た韓国人か、在日韓国人かわからないですよ?
だから、私も「日本語上手ですね」と褒められるけど、それは仕方ないと思うます。
Unknown
(ポチョンボ電子楽団大好き)さん
いつも丁寧なコメントありがとうございます。
今考えると、タクシーの運転手さんはどこかで「本土」で刷り込まれた「癒しの島」としての沖縄のイメージを払拭しようと、色々と話してくれていたのかもしれません。
日本人は沖縄戦だけでなく、米軍基地の過重負担という現在における加害性も認識しなければいけないと思います。
(韓民族)さん
アンニョンハシムニカ。韓民族さん、初めまして。コメントありがとうございます。
いわゆる「ニューカマー」の方々が年々増えている現状では、韓民族さんの言うとおり、見分けはつかないかもしれません。
しかし、在日朝鮮人の過半数が植民地時代に日本に渡ってきた子孫である現実だけを考えても、日本人には在日朝鮮人が存在する歴史的経緯を知る責任が当然あると思っています。