戦時下の国で迎える「戦勝記念日」
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今日は朝鮮戦争の停戦協定が締結された日だ。朝鮮では「7.27」「戦勝記念日」と呼ばれ、祝日となっている。
今年は59周年だが、盛大な規模で慶祝行事を催すことが数日前に発表された。この文章を書いている時点で行事の具体的な内容は明らかになっていない。果たして何が行われるのか、「サプライズ」があるのか、注目されるところだ。
先日、ある地方都市を訪れたときの出来事。取材をコーディネートしてくれた市人民委員会の40代女性職員と取材終了後、昼食をご一緒することになった。
席に着くと雑談がスタート。途中、会話をもたせるために、何のことなしに「家族ネタ」を出してみた。
「ご家族は何人ですか?」(私)
「3人です」(女性)
「じゃあ、お子さんは1人ですね」(私)
「いえ、2人います」(女性)
「えっ…。失礼ですが、ご主人は?」(私)
「…。今不在なんです。出張中というか何というか…」(女性)
相手の口調はしどろもどろ、場は一転して気まずい雰囲気に。さらに話を聞いてみると、軍人だった夫は数年前、最前線で服務中に亡くなったのだという。もちろん、この類の話は決して珍しいものではない。
朝鮮は先軍政治を敷いている。停戦協定が締結されて59年、今も「戦時下」にあるこの国ではいたるところに軍事が姿を見せる。
このたび日本から持ち込んで読んだ本の中に以下のような一文があった。
「世界がこの終わっていない戦争にこれほど大掛かりに介入したにもかかわらず、今ではその終結にこれほど無関心なのはなんとも奇妙ではないか。」(テッサ・モーリス-スズキ 「北朝鮮で考えたこと」 集英社新書)
北南朝鮮以外に中国、米国、そして国連軍の旗の下に集まったオーストラリア、ベルギー、カナダ、コロンビア、エチオピア、フランス、ギリシャ、オランダ、ニュージーランド、フィリピン、南アフリカ、タイ、トルコ、イギリス―。日本も米軍の出撃、兵站基地としてこの戦争に深く関わったことは言うまでもない。
東アジアにおいて冷戦は1945年の朝鮮半島分断と米軍の進駐を起点として始まり、中国での「国共内戦」の激化とともに高まり、1950年の朝鮮戦争勃発によって頂点に達した。朝鮮半島全土が戦場となり、3年間で軍、民合わせて数百万人が犠牲となった戦争。同族相食む凄惨な戦いと大国の介入によって朝鮮半島の分断は固定化され、その後長い間、東アジア冷戦体制を規定する主要因となってきた。
この戦争が終わっていないということは、朝鮮半島のみならず東アジアにおいて冷戦体制が完全に克服されていないことを意味する。朝鮮は現在、最も長い期間にわたって米国と敵対関係にある国でもある。
本日行われるであろう戦勝慶祝行事の場では、この国がいまだ「戦時下」にあるという現実も垣間見ることになるだろう。
奇しくも、今日はロンドン五輪の開幕式が行われる日だ(時差があるので、こちらでは翌日になるが)。そして、私自身の誕生日でもある。
世界の目がこのスポーツの祭典、平和の祭典に注がれる。朝鮮でもこの間、五輪の放送が予定されている。一方で、自分はこの「終わっていない戦争」についても考えたいと思う。近い将来、戦争当事国間で平和協定が締結され、「7.27」が開戦から終戦にいたるまでの過渡的な記念日として記憶される日が来ることを願って。(相)
Unknown
早く戦争が終わって欲しい。ただそれだけ。僕が今まで見た戦争の映像では、ユーゴスラヴィアの戦争が一番印象に残ってるんですが、普通に一般市民を攻撃していて、改めて驚きました(それだけ平和ボケしてたんでしょうね)。その映像を見た当時(今も)、ユーゴの特にボスニアやクロアチアに興味を持っていたので、尚更衝撃的でした。ボスニアは、貧しくも牧歌的、クロアチアはリゾート地、というイメージがありますが、そんな美しく風光明媚な街並み、風景をも壊してしまうんですよね、戦争って。戦争の無い世界なんて実現するはずないじゃん、と思いながらも、心の奥底で反戦平和を祈る複雑な心境を持つ今日この頃です。