チェサパンチャン
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現在制作中の9月号は、9月30日の秋夕にちなみ、チェサ(祭祀、제사)で食べるパンチャン(반찬、おかず)を本格的に作ってみようという料理特集です。昨日はイオの編集部全員で横浜市のとある場所で撮影を行ってきました。
チェサパンチャンといえば、作るのもたいへんですが、独特の並べ方がありますね。「魚東肉西」と言って、肉類は西側に、魚は東側に並べる、頭尾のあるものは「東頭西尾」といって、頭を東の方に、尾は西の方に向ける、果物は「紅東白西」と言って、白色は西側に、紅色は東側に並べる…等など。
「朝鮮の通過儀礼」(金奉鉉著、図書刊行会、1982年)によると、朝鮮半島で「名節(명절、祝日)」とは、元旦(陰暦の正月1日)・上元(正月15日)・寒食(冬至後百五日に当たる日)・三辰(3月3日)・端午(5月5日)・流頭(6月15日)・秋夕(8月15日)・重陽(9月9日)・臘日(12月8日)などの節日に行う祭りをいい、そのうち寒食と秋夕は一般的に墓祭を行うそうです。唐の文献には、「秋祭は五穀の熟を報する所以なり」との記述があり、収穫に対する神への感謝を捧げる「祭り」の意味も込められていたと言います。
秋夕の朝は、子孫たちが寄り集まって墓の雑草を切り取り、秋節の食を携え、墓所を訪れていました。私事になりますが、私の祖父の墓も生涯の大半を過ごした場所ではなく、息子たちが住む関東地方に建てられましたが、墓参りに行くたびに雑草をむしることから始めます。同じ墓には長らく人が訪れていない墓もたくさんあり、墓の場所は人が集まりやすい場所でなければ、と毎回感じさせられます。
上記の本は、「命日に喧嘩はつきもの」という朝鮮のことわざを紹介しながら、祭祀の作法をめぐって遠方から集まった親戚同士の口論が絶えなかった朝鮮人の姿を描いていますが、まさに私の幼い頃のチェサもこの言葉がピッタリのものでした。パンチャンの並べ方、数について意見するおじちゃんもいれば、政治談議に花を咲かせるおじちゃんもいたりと、いい意味でも悪い意味でも「にぎわいの風景」が私にとってのチェサです。もちろん女性たちは前日からひたすら台所で料理を作り続けていました。
李氏朝鮮時代には、チェサの作法をめぐって、政界が四分五裂し、血が流されたこともあったという記述を見ると、チェサが人々の人生を大きく変えた、社会にとって重大な儀式だったことが読み取れます。ケンカは、まだましなんですね。
今回の特集には、チェサパンチャンを囲んでみんなに集まってほしいという思いを込めました。私も年に3回ほどチェサの料理を作っていますが、普段の家庭料理に応用できるものも多く、チェサの準備を通じて朝鮮料理を学ぶ、という感覚を持っています。
以前、チェサの特集をした際、「私の代になったら、チェサは焼肉パーティーにする」と意見を寄せる女性がいました。時代と社会の変化によってチェサの形は変わってきているし、1、2世の時代のように女性がひたすらチヂムを焼き続け、男性はビール片手に政治談議、という風にはいかないでしょう。もっともチェサをしない家庭が増えている気がします。
ただ4世のわが子を見ながら感じるのは、朝鮮の食、哲学が込められたチェサは、1世のウリマルが飛び交わない家庭で、私たちにつながる「文化の匂い」を実感できる場ではないか、ということ。そして、自分の親の親、そのまた親やきょうだいについて語りあえる場であるということです。
とにかく、若い世代に負担のない形で、ウリ文化を楽しんでほしいです。(瑛)
北でも
北朝鮮でもチェサなど伝統行事は残ってる(毎回実施してる)んですか?
共産主義だと、そういう「伝統」とかは打倒対象なのかと思ってた。