パラリンピック
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オリンピックに沸いたロンドンで、29日から開催されるパラリンピックに、朝鮮民主主義人民共和国がパラリンピック史上初めて参加する。このニュースを、「やっとこういう時代が来たのか」という静かな感動とともに受け止めた。
そして数日後、イオ編集部の(相)さんが朝鮮から発信した、朝鮮卓球界の女王・リ・プンフィ選手が、朝鮮障がい者体育協会で書記長を務めている、という報せにも、障がい者を取り巻く世界の変化を感じとることができた。
リ選手といえば、1991年に千葉で開催された第41回世界卓球選手権大会で「コリア」卓球チームとして女子団体戦を戦い、韓国の玄静和選手とともに「コリア」を優勝に導いたスター選手。社会的にも知名度の高い有名人が障がい者のために先頭に立つ―。彼女が働き続けることが、どの社会にも根深く残る障がい者への偏見、生きがたさを少しでも減らすことにつながると感じる。
(相)さんの記事http://chosonsinbo.com/jp/2012/08/0801mh-03/には、リ選手がこの道を選んだ出発点に、小児麻痺を患う息子の存在があったことが明かされている。16歳になる息子さんは、生後6ヵ月のときに高熱で20日間も意識がはっきりせず、命は取り留めたものの、脳性麻痺の後遺症が残った。息子を育てる過程で「障がい」に自然と目が向いたというリさん、「障がい者は自分の障がいに悩み、恥じ、自暴自虐になりうるが、協会ができたことで、彼らが希望を持って人生を歩めるよう手助けができると考えている。スポーツを通じ、能力と適正に応じて生きていくという自信も生まれる」―。
リさんのこの言葉に、02年5月に心身にハンディキャップを持つ家族たちの集まり「ムジゲ会」の皆さんと朝鮮を訪れたことを思い出した。この訪問は、障がいを持つコリアンの皆さんの、「子どもたちに一度祖国を見せたい」という願いを実現しようと、在日同胞福祉連絡会が企画したものだった。
平壌ホテルで朝鮮の障がい者や、「朝鮮不具者支援協会」の職員と交流したときのこと。
朝鮮に帰国した兄に会うため、初めて訪朝した全盲の梁進成さんは、朝鮮で目の不自由な人がどのように学び、交通機関を利用しているのかを聞いていた。率直な意見が飛び交うなか、次女が聴覚障がいを持つSさんが、障がい者を「不具者」と呼ぶことについて、「障がい者に対して否定的な意識を生むのではないか。障がいは不自由だが、決して不幸せなことではない」と問題提起したのだ。一瞬、その場には緊張が走ったが、医師で人口学の研究者でもある支援協会の洪淳元副会長は、朝鮮の現状を包み隠さず率直に話してくれた。
「朝鮮の障がい者施策は世界レベルに比べるとまだまだ低い。交通や公共施設にアクセスできるシステムも完備されていない」
「制度、技術面で立ち遅れている障がい者教育や各種施設のバリアフリーを、関係機関の協力を得て一つひとつ解決していきたい」
「数年以内に障がい者支援法を制定し、障がい者の生活を豊かにしていきたい」
「『不具者』という呼び名については差別的な側面があると認識している。協会設立時に議論もした。保護法制定の際に、偏見をなくす的確な表現に変えたい」
洪さんのこの言葉に、交流の意義をかみ締めていたムジゲ会の皆さんの姿が今も脳裏に焼きついている。
あれから10年。この間、朝鮮では2005年7月に朝鮮不具者支援協会の名称が朝鮮障がい者保護連盟に変わり、障がい者保護法も制定されたそうだ。今年に入ってからは、障がい者の職業訓練所が開設されたという報道もあった。
そして、朝鮮卓球界のエースだったリ書記長は、2010年から障がい者と健常者がともに参加する卓球大会を開催している。
朝鮮障がい者体育協会によると、今回のパラリンピックには、20人規模の選手団を送る予定で、水泳、卓球、陸上などの種目に参加する。
朝鮮は国際パラリンピック委員会の168番目の加盟国。「好成績を残すことより、開幕式の会場に朝鮮国旗がはためくこと自体が成果」と語るリ書記長。
その旗が心身にハンディキャップを持つ人たちの新しい希望に続いていくのなら、どんなにすばらしいことか。
10年前の貴重な交流を目にした者として、障がい者をサポートするリさんの存在があまりに頼もしく、誇らしかった(瑛、写真はムジゲ会の皆さんと平壌近郊で撮った一枚)。
Unknown
うちの母親が、障害者団体の会議に出席したりしてるんで、精神•身体問わず障害関係の本がうちにいっぱいあります。以前、新聞を読んでいたら、北朝鮮の障害者団体に関するニュースが目に入り、母親と「やっぱり差別がひどいんだろうねぇ…」なんて話してました。日本でさえ、ネットを少し見れば障害者に対する差別的言説に溢れ、某有名政治家が「障害者に感情などない」だの、「障害者が増えたのは脳幹が弱いからだ!」だの抜かして、障害を暴力で治療しようとする戸塚ヨットスクールを公然と支持したりするのがトップに立てちゃうのに、今経済建設で余裕があまりないと思われる北朝鮮の障害者は、一体どんな酷い扱いを受けてるのか?江戸時代明治時代の日本のように、生まれてきた我が子に障害があるとわかるやいなや、殺生してしまわれてるんでは?なんて考えてました(すみません。認識が甘かったですね。考えを改めます)。でも今現在こうして団体名が改名されたり、法改正されようとしたりパラリンピック参加が決まったりしてるんですから、本当に時代は変わりつつあるのかな?なんて考えてます。小学校中学校の頃、人付き合いが苦手で、よく個別学級の先生方にお世話になったのを思い出します。あの頃は、本当につらかった。でも、それからと同時に、障害のある子が身近にいたので、あまり差別意識も持たずに済みました(勿論、彼らの気持ちを100%理解出来る訳は無いですし、街で大声を出したり、一目で障害者と分かる人を見て、何かしらの感情を持つことはあります。身近に知的障害者がいて、すごく手がかかり、凄くイライラして、思わず差別用語を口に出してしまったことはあります)。毎日暑いですが、ブログの更新と、イオの編集頑張って下さいね。