筑豊再訪
広告
昨日、イオの10号の取材で福岡の筑豊地方を周りました。ご存知の通り、筑豊は日本有数の炭鉱地域だったところで、日本の敗戦前、多くの朝鮮人が働いていました。九州の炭鉱だけで、34万人の朝鮮人が働いていたと記録に残されています。
日本が朝鮮を植民地支配するなかで、強制的に連れてこられたり、故郷で生活できなくなったり、良い仕事があるとだまされたりして、朝鮮人が筑豊の炭鉱で働かされました。
私が筑豊を訪ねたのはこれが2度目です。二十数年前に、強制連行された一世の安さんの証言を聞くために訪れました。しかし、今回訪れると、安さんは数年前に亡くなっていました。証言できる一世はほとんど残っていないとのことでした。
今回は筑豊の田川、飯塚、桂川などを訪ね、主に地元で長年、朝鮮人の強制連行の真相を調査してきた日本の方にお話をうかがいました。
いま日本では首相経験者や現職の政治家たちが強制連行や日本軍「慰安婦」なんかなかったと公然と言っています。そして、それらの発言に対し、日本国内からは大きな批判が起こらないし、マスコミもせいぜい客観的に伝えるだけです。
今回会った日本の方たちは言っていました。「私らは実際に、強制連行された本人たちと一緒に活動し話を聞いてきた。それを否定することは考えられないし、許せない」。
否定する政治家たちは、強制連行された本人、日本軍「慰安婦」制度の犠牲者の前で「強制連行なんかなかった」「従軍慰安婦は強制でなかった」と言えるのなら言えばいい(今のアホな政治家たちは本当に言いそうで恐いけれど)。
何度も書いていますが、日本は、無理やり連れてこられ牛馬のように働かされた人たちがすべて死にいなくなるのをじっと待っているだけです。しかし、それは絶対に許されることではありません。(K)
Unknown
38年前の「調査団」、新米記者として同行しました。炭鉱で同胞が故郷をなつかしみ、うたっていた歌、思い出されます。