エピローグ ~沖縄取材記⑨
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思えば6月、在日朝鮮人と沖縄、旧宗主国で過去の植民地支配の克服という歴史的・今日的な課題をともに背負う者として、私たちが新たに「出会う」ことを渇望して、沖縄へ向かった。初めて訪れたオキナワでは、人々の生命と生活を破壊する米軍基地も、奪われていく歴史も文化も言語も、全て痛みとして感じられた。だが沖縄の人々に触れ彼・彼女らを自身の写し鏡として見つめ、大きな力を得た忘れ難い経験となった。
6月23日、魂魄の塔に訪れていた19歳の女性は、物心つく前から「慰霊の日」には毎年家族とともに同所を訪れ、沖縄戦で戦没した祖父を参るのだという。「将来親になっても、子どもを連れてここへ来たい」と話した。しかし「戦争は二度と繰り返してはいけない」「犠牲の記憶を次世代へ継いでいきたい」と話す一方で、基地問題となると一転して「米軍がいなければ誰が沖縄を守ってくれるのか」と過去と断絶された言葉が返ってきた。沖縄の歴史と現在の間にある根深いねじれ、歪み―。
ほかの20代の女性は、復帰40年を迎えてもなお日米安保体制の負担を沖縄だけが強いられる現状に、「沖縄にとって日本は帰るべき『祖国』だったのか? 私は『日本人』なのか? その答えはまだ見つけられない」と等身大の葛藤を話してくれた。
沖縄は琉球王国に始まり、薩摩、明治政府による侵攻、米軍占領期など、本土とは異なる歴史を歩んできたにも関わらず、教育現場では独自の歴史教育はなされていない。毎年6月になると、平和学習が強化され沖縄戦や平和について集中的に学ぶが、通常の授業内容は個々の教員の裁量に依拠するしかない、と聞いた。
前出の彼女は、「最近、ウチナーグチを話せないことが重くのしかかってくる」と自分のルーツを真摯に見つめているようだった。「うちなーの子どもたちにとって教育、民族の問題として、長い間虐げられてきた結果、うちなーんちゅが自ら植え付けてしまった劣等感や諦めを捨てて、自信を取り戻すための教育が本当に大切だと思う。これは、うちなーんちゅ同士で考えるべき問題」と打ち明けてくれた。
普天間の座り込みでは、話を聞こうとある女性に声をかけたが、拒絶されてしまったこともあった。「マスコミが沖縄にやってきても本土ではちっとも報道されない。それならはじめから来ないでほしい。沖縄の人たち傷つくよ」。「本音」をぶつけられ、無関心な本土への蓄積された苛立ちは底知れない、と感じた。
ほかの女性は、孫ほどに歳の離れた私に向かって在日朝鮮人と初めて出会った時の自身の体験を「懺悔」した。「私はその人に、国は『北』か『南』かと聞いたの。そしたらその人は、『北』も『南』もない、私の祖国は一つだと答えたの。私、何も知らなくて、その人のことを傷つけてしまったの」。そういって彼女は、「それから私、朝鮮の歴史を勉強してるんですよ」と笑顔を向けてくれた。
またある男性は、朝鮮半島の分断状況と沖縄との関連性をどう考えるかとの問いに、「朝鮮半島の統一については自らの加害性を問わずして無神経に語ることはできない」と話した。
人々の言葉から、度重なる植民地主義の横暴の犠牲となった歴史的体験ゆえ、人々は自らの加害性と被害性いずれにも自覚的であるとともに、二つの痛みを知る彼・彼女らの想像力は、他者へと広く開かれていると感じた。もちろん沖縄の全ての人がそうであるわけではない。だがそれを承知で、そのような期待を抱かずにはいられないほど、沖縄の人々との出会いは私にとって大きな感動であり、鮮烈であった。
今回出会った沖縄で闘い続ける人々の多くが「楽しく闘わなければ、続けられない」と話していた。普天間で、長時間の座り込み対策として設置した仮設トイレを米軍が無断で奪っていったときも、「Retuen our porta potty !」(仮設トイレを返せ)と書いたプラカードにトイレットペーパーをぶら下げて、「私たちの土地を返せ! 私たちのトイレも返せ!」と訴えていた。
積み重ねてきた闘いの軌跡、培われたしなやかな抵抗の精神と他者への想像力、これこそが強大な権力に抗い続けた歴史の中で得た沖縄の「強さ」ではないかと思う。
歴史的主体として自ら立つとき沖縄は、解放を目指す人々の共鳴を呼び、ナショナリズムと国境を超えていく可能性があるのではないだろうか。そしてアイデンティティはこの抵抗の中で鮮やかに表明されていくはずだ。大げさで楽観的だとは思うが、希望も込めてそう書きたい。
素晴らしい出会いと深い問題意識を与えてくれた沖縄取材から2ヵ月が過ぎた。
台風で延期になった県民大会は来週末に開かれる。現状は依然重く、無責任に大それたことは言えないが、今後も今回出会った人たち、沖縄が抱える問題と、微力ながらひたと向き合っていきたいと思っている。
今回取材にご協力いただいた全ての方々に心からの感謝の気持ちを込めて、これを最後の取材記にしたいと思う。
本当に、どうもありがとうございました。(淑)