朝鮮学校、日本の学校
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めっきり寒くなってきましたね。今週末、各地の朝鮮学校では、来春入学する予定の子どもや幼児向けの入学説明会が行われる地域が多いと聞きます。
そこで、「なぜウリハッキョを選択したのか」「実際に通わせてみてどうか」という思いを保護者同士で共有できないか、という話が話題に出ました。
その話を聞きながら、地域で交流のあるオモニやアボジたちはいても、私自身、改めてそういう話をしたことがなかったし、話をきちんと聞いた人もほんの数人だったことに気付きました。先日、サッカーの試合で先輩のオモニとお話する機会がありましたが、日本人のお母さんでした。毎日の宿題も、朝鮮語をわからない中で取り組むので、息子さんと一生懸命勉強しながら乗り切っていると聞き、それぞれ見えない苦労があると感じました。
日本政府が朝鮮学校いじめを続け、高校無償化から朝鮮高校がはずされたり、自治体の補助金がカットされるなか、「朝鮮学校はたいへん」と不安に思う方も多いと感じます。
たしかにウリハッキョは、家の近所にはないし、公立の小学校のように給食はなく毎日お弁当を包まなければならない。学費や定期代も必要で、週末の休日も学校を支援するさまざまな活動がある。地方都市では親元を離れ、寄宿舎生活を送るお子さんもいる。
日本の学校にない価値をウリハッキョに求める人たちが朝鮮学校に通わせるのではないか、と思います。
子が生活の大半を過ごす学校。どの教育機関を選ぶのかは、親が判断するわけですが、就学期に近づくと子どもの声も無視できないものになってきます。今、朝鮮学校に通って2年目になる息子は、日本の保育園に最初から朝鮮名で通わせていたのですが、5歳くらいになると、周りの日本人の友人のなかで、「自分はなんとなく違うなぁ」という違和感を感じだしていました。そこで初めて、「朝鮮人なのに、なんで日本に暮らすことになったのか」という話もしたように思います。
ハッキョに通って数ヵ月がたった初夏には、「オンマ、朝鮮人ってどうやったら探せるの?」と聞かれたこともありました。おもしろいことを聞くなぁと思いつつ、「これって在日朝鮮人にとって長い命題なんだよ」と6歳の問いにしばし考え込んだことを覚えています。
「이름이 뮈니(お名前なぁに)って聞けばいいの?」とハッキョで習ったばかりの慣用句を無邪気に話す息子。心の中で私は、「ウリマル(朝鮮語)を知らないチョソンサラム(朝鮮人)もいるから、それは適切ではないかもね。けれど君のように無邪気にみんなに聞けて答えられたらどんなにいいだろう」と叫んでいました。この問いはハッキョを取り巻く「内と外」の世界を浮かび上がらせていたように思います。
それから1年経った今、彼は、先生方のおかげで朝鮮語は会話するほどに上達し、ウリトンムに囲まれながら、やんちゃな学校生活を送っています。
子どもたちには、いつか社会に出る時、「自分に何ができるのか」を考える日が来るでしょう。その時に「自分は何者か」を掴めないほど不幸なことはないと思っています。それこそ、自分の人生を自分で切り開くことができない。
ハッキョでは、人間としての根っこのようなものを培ってくれればと思っています。(瑛)