あの日から18年
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1995年に起きた阪神・淡路大震災から昨日で丸18年が経った。
1月17日午前5時46分に発生した直下型地震は死者6434人、負傷者45000人以上という未曾有の大被害をもたらした。この地域に住んでいた在日同胞たちも、長田区を中心に多くの人々が命を落とした。
震災当時、私は朝鮮大学校の1年生。震災当日、学内の寮でいつもどおり起床すると、ラジオから地震発生のニュースが流れてきた。その時点でまとまった情報はほとんど明らかになっていなかったが、ただならぬ被害が出たというのはすぐにわかった。
1時限目の講義を控えて教室にいると、先生が血相を変えて教室に飛び込んできた。「近畿地方出身の学生たちは自宅にすぐに電話するように」。校内のテレビ画面には地震直後に発生した火災で真っ赤に燃える神戸市内の様子が映し出されていた。それを食い入るように見つめる顔面蒼白となった神戸出身の学生たちの姿が今も思い出される。
この震災で朝大生も1人犠牲になった。同じ学部の1歳上の先輩だ。地元で催された成人式に出席するため神戸市長田区の実家に帰省していた時に地震に襲われた。成人式翌日の16日に東京へ戻るはずだったが、体調を悪くし、帰京を1日遅らせた。そして、震災当日の朝。1階で寝ていた彼は自宅の下敷きとなり、帰らぬ人となった。
自分の身の周りにいた人間の存在が何の前触れもなく突然消えるという不条理。一昨年の東日本大震災の際には、人間の生の営みが奪われた悲惨な光景を自分も現地で目の当たりにした。
仕事で神戸を訪れることが多々あるが、街中を歩けばここであの未曾有の大災害があったとは思えないほど建物や道路は整備されている。一方で、復興から置き去りにされる人々もいる。仮設住宅や復興住宅で起きた孤独死が1000人を超えたというニュースが伝えられた。
昨日はさまざまな追悼の催しが行われた。亡き人に思いを巡らせた人々がどれだけ多くいただろう。私も犠牲者の冥福を祈りたい。
そして、復興とは何なのか。悲惨な経験を今後に生かすため行政は、個々人は何をすべきなのか、自分なりに考えて小さなことでも実践していきたい。
あと2ヵ月足らずで東日本大震災から2度目の「3.11」を迎える。