東京オリンピック招致と朝鮮学校への弾圧
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24日、愛知と大阪で「高校無償化」からの朝鮮学校排除は違法だと訴訟を起こした。そのことについては、25日と28日の日刊イオにそれぞれ現地で取材した(相)さんと(淑)さんが報告した。詳しい内容が書かれているので、ぜひ読んでほしい。
「高校無償化」問題、法廷闘争へ
http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/42ad4ab86612ab14e261ed915ff4a1d2
「高校無償化」問題、新たな闘い始まる
http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/447066b098e25f56b15c56cd54740fd7
同じ24日、東京では文科省前での抗議行動が行われた。横断幕を掲げビラを配り、また日本人や朝鮮学校の保護者らがハンドマイクをもって、朝鮮学校だけを除外することの不当性、省令をも改悪して朝鮮学校を排除し弾圧しようとする日本政府の危険性を訴え続けた。
最後にハンドマイクを手にしたある日本人男性が、「高校無償化」からの朝鮮学校排除の問題を東京オリンピック招致と関連付けて訴えていたのが印象的だった。
訴えた内容を要約すると次のようになる。こちらはビラを配りながら聞いていたので、不正確な部分があるかもしれないが大目に見てほしい。
「オリンピック憲章にはあらゆる差別に反対することがうたわれている。しかしオリンピックを招致しようとしている日本は朝鮮学校を公然と差別している。朝鮮学校だけを排除するために省令を変えようとする日本は国際社会から非難される存在だ」
オリンピック憲章を見ると、最初の部分の「オリンピズムの根本原則」というなかで次のように書かれている。
「スポーツを行うことは人権の一つである。すべての個人はいかなる種類の差別もなく、オリンピック精神によりスポーツを行う機会を与えられなければならず、それには、友情、連帯そしてフェアプレーの精神に基づく相互理解が求められる。」
「人種、宗教、政治、性別、その他の理由に基づく国や個人に対する差別はいかなる形であれオリンピック・ムーブメントに属する事とは相容れない。」
現在、東京へのオリンピック招致に対し、様々な人たちが様々な理由で反対している。福島の原発事故が理由であったり、オリンピックそのものを否定したり。オリンピックが「国威発揚」に利用され、ニッポンニッポンのコールの中で排外主義的な社会状況が助長されるのを心配する人たちも多い。確かに、省令まで改悪して朝鮮学校を差別・弾圧する日本にオリンピックを招致する資格はないと、少なくとも朝鮮学校に子どもを送る当事者の一人として思う。
日本はいま、朝鮮民主主義人民共和国に対する「制裁措置」を取るなど露骨な敵視政策を行っている。朝鮮学校に対する差別・弾圧もその一環としてある。「敵国・北朝鮮をなんとしても潰したい」というのが日本政府の本音だ。もし東京でオリンピックが開催されれば、朝鮮の選手団や関係者も入国させなければならないが、朝鮮からの一切の入国を認めない「制裁措置」と明らかに矛盾してしまう。サッカーW杯の予選では朝鮮選手を入国させたが、FIFAの制裁があるためにすぎない。オリンピック開催中だけ入国させ、終わればすぐに日本から出て行かせる。そしてまた「制裁」を続ける。
東京がやろうとしているオリンピックは2020年。2020年に在日朝鮮人や朝鮮学校がどのような状況に置かれているのか、今の日本の流れから想像するとゾッとしてしまう。しかし、いろんなことをあきらめるわけにはいかない。2020年を少しでも良い状況で迎えられるよう努力していくしかない。そのためにまず、「高校無償化」に関する今回の裁判は負けるわけにはいかない。月刊イオ、日刊イオでも裁判の経緯を随時、報告していきたいと思っている。
ちなみに、オリンピックの開催地は今年9月に決まる。(k)
Unknown
オリンピック、やればいいじゃないですか。ただし、以下の条件で。
・開催費用の一切を、受益者(=選手・役員)負担で。
・選手強化費用も、受益者負担で。
・したがって、公費(税金)からは、びた一文出さない形で。
・開催に当たって、関係のない市民に迷惑をかけないこと。野宿者追い出しなんて、とんでもない!
五輪憲章自体、クソのようなもの(国別対抗で試合をすること自体が差別であり、暴力であり、抑圧です)なのですが、クソはクソなりに、上手に使えば、朝鮮学校無償化実現の肥料にすることができるかもしれません。
とまれ、能力至上主義をあおりたて、弱い立場の人々(生活保護受給者など)の生きにくさをさらに助長するオリンピックは、さるのこしかけ的には、非常に迷惑であり、永遠に日本に来てほしくないと願うばかりです。同時に、他の国の弱者が抑圧されることも望んでいません。ソチやバンクーバーでは、少数民族が五輪反対の怒りの声を上げ、少年・少女までが街頭に出て果敢に戦っているという事実を申し添えたいと思います。