いつか故郷に~大統領選挙の結果と在日同胞
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韓国の新しい大統領が決まってから、気になっていることがある。
私のような総聯の仕事をしていたり、外国人登録証明書の国籍欄の記載が「朝鮮」の人間、つまり韓国パスポートを持たない人間が、今後どれだけ「自由に」南の故郷を訪れることができるか、ということだ。
私が故郷を訪れたのは2002年の9月。朝鮮学校の子どもたちの芸術公演に記者として随行したのが最初で最後だった。2000年の6・15北南共同宣言を受け、それまで「敵」と考えていた南北の間で政府間、民間交流が始まり、それまで遮られていた人々が堰を切ったように出会い、心を通わせた。そのことは「お互いをもっと知りたい、会いたい」という大きな希望を生んだ。
この流れのなかで、朝鮮学校を訪れる南の市民も増え、彼らは朝鮮学校の児童・生徒たちの姿を人目みたいと故郷に招待してくれた。生徒たちはソウルと全州で朝鮮語、朝鮮の歌、朝鮮の踊りを立派に披露し、その舞台は大きな感動を呼んだ。今でも観客席で涙する市民の顔をはっきりと思い出せる。歴史的な瞬間だった。
あれから10年。
いつか子どもたちを連れて祖父たちが生まれた故郷の土を踏みたい―。2002年には、それが近い将来に実現すると思っていたが、見通しは甘かった。
南の現政権が南北対話を否定してからというものの、「朝鮮」表示の人間が南に旅行に行く際も「『韓国籍』に変えないと許可を出さない」という圧力がかかったり、親戚に総聯関係者がいることを口実にパスポートの延期を認めないといったことが頻繁に起きている。
在日同胞の歴史を知らない人は、「韓国籍に変えればいい」と簡単に言うが、同胞の多くは朝鮮半島の南北にきょうだい、親戚がいる。同族である北と南が対立し、分断が長引くなか、在日同胞は南北の両方に自由に行き来できない状況が長く続いた。私自身も、「親の死に目にも会えなかった」と涙を流した1世をたくさん見てきた。ましてや、日本政府が下した対朝鮮制裁で、朝鮮北部にいるわが子やきょうだいに会いにいけずにいる1世、2世たちが日本各地で行き場のない苦しみを抱えている。
(※「朝鮮」表示、在日同胞の国籍については過去のブログで書いています。
http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/f99cfa56fc9922a11cb0d10f742b763f)
私たちが南にも北にも自由に行ける日は、いつなのだろうか。その日とは朝鮮半島に残る分断、冷戦が解ける日だろう。そのためには、まだまだ多くの山を乗り越えなくてはならないようだ。
飛行機で2時間あれば着く隣国・朝鮮。その狭間に立ちながら、されど狭間にいるからこそ見える、物事の本質をしかと見届けたいと思う。(瑛)