ウリノレ―私たちのうた
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5月号のイオは「私たちのうた」をテーマに在日同胞社会で歌われたウリノレ(朝鮮語の歌)を扱います。
同胞の「音楽史」は整理されたものがなく、在日本朝鮮文学芸術家同盟音楽部が作った歌謡集や個々人が残した選曲集や楽譜を見ながら、また同胞社会でウリノレがよく歌われた時代に青春時代を送った方から話を聞くことで、その輪郭がおぼろげに見えはじめてきました。でもまだまだはっきり見えません。取材が足りないのです。頭の中は、1950年代、60年代に同胞たちが花見や野遊会、結婚式でどんな歌を歌っていたのかという興味で一杯、半世紀前にタイムスリップしたい気分です。
植民地期から日本に移り住んだ同胞たちですが、祖国が解放され、各地に朝鮮語を学ぶ国語講習所ができ、とくに総聯結成後に民族教育がシステム化されていくなかで、ウリノレは以前には考えられなかったスピードで普及されていきました。朝鮮への帰国が実現したのが1959年。本国との距離はグンと縮まり、朝鮮の歌が同胞社会で普及しはじます。ただ、当初は歌をうたおうにも楽譜さえなく、ラジオの平壌放送から流れる歌を聴きながら歌詞や楽譜を起こしたそうです。当時のドキドキ感が伝わってくるような逸話です。
そして、朝鮮の万寿台芸術団が初来日したのが1973年。その頃1歳だった私にもマンスデが残した歌を口ずさむ大人が周りにいたような気がします。
4・24教育闘争(1948年)の闘いの中で生まれた「4・24의 노래」、故・韓徳銖総聯中央議長が作った「우리 자랑 이만저만 아니라오」、また各朝鮮学校で作られた校歌は今も歌い継がれています。
最近、日本の音楽界からは「ヒット曲が生まれない」という嘆きが聞こえてきますが、時を越えて愛されるうたには、その時代を表す人々の記憶が詰まっているし、歌詞やメロディーにも、時空間を飛び越える力が宿っている気がします。
さて、昨日のブログで(k)さんは「周りに誰もいないときに、昔に覚えた好きな朝鮮の歌を声を出して歌っている」と書いていましたが、それがどんな歌なのかも気になっています。ひと回り年上の(k)さんが青春時代に聞いていた歌はまた私と違うはずですから。。。(瑛)
Unknown
同胞社会の歌、興味が湧いたので、YouTubeなどで検索してみようと思います。
在日朝鮮人の苦悩がいろいろ詰まっているのでしょうね。
朝鮮の歌謡は音楽において特に秀でていると感じます。
永久に歌い継がれることを願って、私は今日も口ずさみます。