ウリノレ文化のいまむかし
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今日から新年度。日曜日には日本各地の朝鮮学校で入学式が行われます。入学を目前に控えて、当人も保護者の方もドキドキ・わくわくの1週間でしょうね! 私も週末、散歩がてら地元のウリハッキョを覗きに行くつもりです。
さて、先週に続きウリノレについて。
(k)さんも書いていましたが、私も3月18日に行われた金正守創作詩歌作品公演「ウリトンポニルリリ」を観にいきました。
私にとって披露された曲たちはどれも馴染み深い曲で、学生時代のあの場面この場面や新社会人の頃を懐かしく思い出しながらすっかり聴き入った1時間半でした。
公演後、感動を分かち合おうと、一緒に観ていた両親に感想を尋ねると、知っていた曲が全体の2、3曲だったそうで、あれ? そうなの?と肩透かしをくらったというか。ジェネレーションギャップですね。
両親は1950年代生まれ。私は1980年代生まれです。きっと両親は朝鮮民主主義人民共和国で作られた曲や故・韓徳銖総聯中央議長が作った曲とともに青春を過ごし、私たちの世代は、多くは80年代以降に作られた曲とともに育ったからだと思います。親と私の青春時代の間に、同胞「音楽史」の過渡期があるのではないでしょうか。
私は今回の特集で若者たちの取り組みについて担当していますが、「今」を捉えるためには、「在日史」と照らし合わせながら同胞音楽の変遷をたどることが必須です。ですが、その音楽史は整理されたものがないため、手探りです。
まだ取材過程ではありますが、海原に揺れる小舟のように朝鮮半島や日本の社会状況に翻弄されながら抑圧状況に抵抗するためだけでなく、在日朝鮮人としての「生」を自由に歌い、謳歌したいという根本的な欲求としての文化創造の精神は、現在も受け継がれているのではないかと、新しい担い手たちの言葉と音楽から感じながら、取材を進めています。
今日は川崎まで、とあるロック・バンドを取材してきます。(淑)