朝鮮語の小説
広告
梅雨入りしてしばらく経ったものの、東京は夏のような天気が続いていました。この数日、東京は朝から雨の日が続いていますね。
最近、久々に朝鮮語の小説を読み始めました。韓国でベストセラーになったパク・キョンリさんの「토지(土地)」です。舞台は19世紀末の朝鮮。崔という両班の家が一つの舞台になっています。使用人同士の恋物語、ムダン親子の衝突…。どの時代にもある人間模様ですが、植民地支配の現実を庶民がどう捉えていたのかが、興味深い。当時は身分制度も残っていたので、そのしがらみも当然、人々の意識を規定しており、社会の構造が浮き彫りになります。日本によって明成皇后(閔妃)が殺害される事実を伝え合う会話ひとつからも、朝鮮社会が大きく崩れていく現実を個々人がどう捉えていたのかが実感をもって読み取れます。
小説が不思議なのはそこに自分をも登場させることができること。もし、自分がこの人物の隣にいたなら。。。と1世紀の前の時代に自身をオーバーラップさせてしまいます。
また、小説の醍醐味は朝鮮語の表現の豊かさと新しい表現に出会えることです。季節の表現も粋なものです。
日本では梅雨が訪れる月を水無月、風待月、涼暮月とも呼びますね。雨は朝鮮語で비ですが、小雨・霧雨のように細かく降る雨を보슬비,실비,가랑비,이슬비,안개비と表現し、今日のようにじめじめと長く降る雨を궂은비、にわか雨や夕立を소나기、どしゃぶりの雨を억수、폭우と言うそうです。
ついでに비がつくことわざも少し。비 맞은 장닭 같다(雨に濡れた雄鶏のようだ)は、普段は上品で威厳のある人が何かのきっかけで見るかげもなくなることをいい、비 오는 날 장독 덮었다(雨の降る日にみそ甕のふたをした)は当たり前のことをして自慢すること、비 온 뒤에 땅이 굳어진다 は雨降って地固まる。日本でもよく使われる表現ですね。
普段から日本語で記事を書くので、意識して生活の中に朝鮮語を取り入れないと、せっかく培った朝鮮語のレベルが下がるばかり。。。季節感を含んだ表現もマスターしたいものです。とにかく、「土地」を完読して読後談をこのブログにつづりたいと、決心新たに梅雨の朝を迎えました。(瑛)