国連勧告「従う義務なし」発言
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安倍内閣が6月18日、旧日本軍の「慰安婦」問題に関する国連の拷問禁止委員会の勧告について、「法的拘束力を持つものではなく、締約国に従うことを義務づけているものではない」とする答弁書を閣議決定しました。これは、紙智子参院議員(共産党)の質問主意書に答えたものでしたが、国連勧告に「従う義務なし」発言にアゼンとされた方も多いのではないでしょうか。
国連・拷問禁止委員会の勧告は、橋下徹大阪市長が「慰安婦制度は必要だった」とした発言を指したもので、日本政府に対し、「当局者や公的人物による事実の否定や、それによって被害者を再び傷つける行為に反論すること」を求めていました。
国連勧告で記憶に新しいのは、高校無償化制度から朝鮮高校を除外していることを「差別」だと断定した国連・社会権規約委員会の勧告です(5月17日)。しかし日本政府はこの勧告についても、無視を決め込んだどころか、下村博文文部科学大臣が「民族差別にはあたらない」(5月24日、記者会見)とまで言い放っています。
国連勧告をこれほど軽く扱っていいものなのでしょうか。
今までも、日本政府は国連の人権条約審査機関から出された勧告を何度となく無視し、「差別ではない」と頬かむりしてきましたが、国連勧告をここまで否定した発言は初めてでした。そこで、7月1日に参議院議員会館で開かれたのが緊急院内集会「国連勧告『従う義務なし』に異議あり!」。「アムネスティ・インターナショナル日本」などの市民団体が主催したこの集会には100人を超える参加者が集い、国際法学者、国連で活動する弁護士、NGOが人権を軽視する日本政府の姿勢に怒りの声をあげていました。
席上、阿部浩己・神奈川大学教授は、「勧告それ自体に法的拘束力があるとは言えないが、条約を批准した以上、当然従う義務があるというのが国際法の大原則だ。現在、国際立憲主義の考え方はグローバルに展開しており、リベラルで進歩的な勧告が出ている。何のために国際人権規範があるのか。日本の中で人権条約をきちんと学び位置付けていくことが大事だ。憲法改正とも大きく関わっている」と語っていました。
また、寺中誠・東京経済大学教員は、日本国憲法98条2項(日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする)を紹介しながら、「憲法は条約と適合的であるのが前提だ。国際法はもともと包括的に国内法に組み込まれるものなので、法的拘束力の有無の問題はあまり意味がない。国が正当な理由もなく実現に向けた努力を怠った場合は、憲法上の遵守義務違反を構成する場合もある」と指摘。問題は日本の裁判官、検察官、弁護士などの法曹が条約を知らないことから、現状が改善されないことだとして、国際条約の否定が加速する事態を憂慮していました。
日本は現在13の国際人権条約を批准・加入していますが、世界的に見ると批准には消極的でその順番は遅いです。
国際人権条約を批准した以上、各条約は憲法を除くあらゆる国内法に優位します。例えば国際人権規約と難民条約の批准(1981、82年)を受け、日本政府は1980年4月から公営住宅、国民金融公庫などの国籍条項をはずし、82年1月から国民年金や児童手当の国籍条項を撤廃し、私たちコリアンもやっとその対象になりました。国際条約を批准する際は、条約に抵触する国内法を変えなければならず、国籍条項の撤廃は国際条約の批准という「外圧」によって実現されたのです。しかし、いまだ植民地被害者へ賠償、無年金高齢者・障害者への差別、朝鮮学校の制度的保障は実現していません。これは、日本が国内法の整備を怠っているためです。
国連勧告を軽く扱うのか、勧告を「良薬」と考え、人権先進国に向けて努力していくのか―。ここで各国の判断は分かれます。
前述の集会では、深刻化するヘイトスピーチに関する国会議員アンケートも発表されました。5月24日~6月19日にかけて行われたこのアンケート、回収できたのは、717人の国会議員中46名に留まりましたが、「差別に対する法規制が必要か」という質問には回答者全員が「必要だ」と答えています。
国連憲章には、「人種、性、言語、宗教による差別なく、すべての者のために人権と基本的自由を尊重するよう助長奨励する点で、国際協力を達成する」こと(3項)が明記されています。この理想は、第2次戦争大戦時に起きたナチスによるユダヤ人虐殺、アジア各国への日本の植民地支配が人種主義、人種差別から出発した反省から始まっているのです。
「法的拘束力」を持ち出して差別に目をそむける為政者の姿に、歴史がふたたび繰り返される心配がよぎるのは私だけでしょうか。(瑛)
勧告
今回も勧告を無視したようですね・・・。2008、2010年にも日本は国連から沖縄の人たちを先住民族に認めるよう勧告を受けましたが無視していまに至ってますね。最近思うのですが、やはり日本は国内の少数民族に対してなんにもしてこなかった、と言えますね。朝鮮学校の件もそうだし。
「歴史がふたたび繰り返される心配」は僕も感じます。もう、今の日本は1930年代のドイツといってもいいかもしれません。私には好きな後輩に朝鮮人のおんな子がいますが、彼女の悲しい表情を見るのが本当につらいです。もしも彼女が日本人の暴徒に殺されることになったら・・・と思うともう黙っていられません。