人が当たり前に幸せに暮らせるのを望む以上に
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うだるような暑さが続いていて、
せっかくの連休も外にでるよりひきこもっていたい日々。
そんな毎日を送るなか先日、原発事故で陣頭指揮をとっていた吉田元所長が亡くなったというニュースが入ってきた。
そのニュースを聞いたとき、あ~殉職か、と思ったのが先だった。
東電は例にもれず、死因と原発事故の関係は薄いといっているらしいが、そうとはいえない怖さが原発事故にはある。
このニュースを受けて、こういう人にこそ国民栄誉賞をあげるべきなんじゃないのかという声も聞いた。
でも、こういうと、少なからず批判が寄せられるのが現在の日本社会だ。
原発の事故を未然に防げなかった人物を、なぜ!?といったような批判。
それはそうなのだが、
でも、本当に批判されるべきは、原発をつくることを許可した国と政府であると思う。
そして、原発事故の責任追及問題も徹底的にされるべきなのに、
常に個人や企業の批判に隠れて、政府は、安倍政権は、脱原発を掲げることもなく、
またも原発再稼働に動こうとしている。
福島第 1原発は現在も高濃度汚染水を垂れ流しているにも関わらず。
人が安全に住めて、その地でとれたおいしいものを食べ、
外でめいいっぱい遊び、働き、子どもを産み、育てることに何の不安もない暮らし。
原発事故というのは、そんな当たり前の生活をすべて取り上げてしまう恐ろしい事故だということを、
あの事故の教訓を何もわかってないじゃないかと怒りを覚える。
水道水の放射性物質を毎日気にして、食べものにも気をくばる日々。
ひとりの子を持つ親として、切実に思うのだ。
人が当たり前に幸せに暮らせるのを望む以上に、原発って必要なのだろうか?
もうすぐ参院選だが日本の有権者たちは選挙に行って、
日本の未来を決める一票を入れるのだろうか。
憲法改正などもちろん重要な争点もたくさんあるが、
原発問題への関心が低くなって争点から外れがちだというニュースをみた。
低くなってはいけない問題ではないのだろうか。
本当は楽しい連休のさなかにこんな重いテーマは書きたくなかったのだけれど、
原発については思うことが多いので、つい書いてしまった。
私たちは福島の原発事故の教訓を絶対に忘れてはいけない。
「原発再稼動」という言葉を聴くたびに、強く思う。(愛)