在日同胞にとってのコヒャンとは
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これまで出会った南の友人らから、「コヒャン(故郷)はどこ?」と問われることが何度かありました。
私のコヒャンは全羅北道の北東に位置する茂朱なのですが、そう伝えると同世代の友人らは決まって「짱!(サイコー!)」と答えてくれます。
なんでも茂朱は「韓国のアルペン」と呼ばれるほど豊かな自然があふれ、ホタルの生息地として有名なんだそう。そう話しながら目を輝かせる友人らの表情から、どんなに美しい場所なのだろう、とまだ見ぬふるさとの景色を想像してみます。
茂朱ではありませんが、全羅北道中部の全州には一度だけ訪れました。2002年、高校3年生のころです。6・15以降に開かれた新しい歴史の流れの中で実現した在日同胞学生のソウル・全州公演でした。
その経験は、私の30年にも満たない人生の中で最も大切にしている財産の一つであり、その分言葉にするのも難しいのですが、これについては機会があればきちんと整理して書ければと思っています。
ただ、当時在日同胞学生の代表として南を訪問すると聞かされたとき先立ったのは、喜び以上に「申し訳なさ」の感情でした。
南北分断の状況下で総聯系の同胞らの故郷訪問が困難な中、当時、私の家族や親戚の中にも誰一人として南を訪れた人はいませんでしたし、何より故郷を見ずに他界した外祖父や外祖母、ひいては多くの1世同胞たちを差し置いて3、4世の自分たちが行くことの意味に、高校生ながら責任の重さを感じたのをよく覚えています…。
8月号の特集では、8人の、2~4世の在日同胞たちにコヒャンに関するミニエッセイを綴ってもらいました。
8人のコヒャンに対する思いはそれぞれですが、共通して感じ取れるのはコヒャンというものが1世の記憶の中にあるということです。さらにそこからは、コヒャンを自分自身の記憶として手繰り寄せようとする営み、努力が感じられます。
異国で生まれ育った在日同胞にとってコヒャンとは、過去が記憶されている限定された「場所」ではなく、記憶を継承し未来につなげていく「こと」なのではないかと感じています。イオ8月号を手に、ぜひみなさんもコヒャンについて考えてみてください。(淑)