久しぶりに筆を取りました。
広告
小中高大と続けてきた書道ですが、社会人になって一旦お教室をお休みした以後、すっかり筆不精になっていました。
今回はひょんなことから知人に頼まれ、思いがけない依頼がうれしくて二つ返事で引き受けましたが、よくよく考えてみれば習字道具一式は書道の先生宅に預けたまま。幸い墨汁は家に余りがあったので、文具店で半紙と手頃な小筆を一本購入。硯の代わりに少し深みのあるお皿、文鎮はテレビのリモコン、下敷きは古新聞といったなんとも不格好ではありますが、環境は整ったのでいざ。
しかし書き始めると安物の筆なのでまぁ筆先が割れる割れる。昔からそんなときに決まって浮かぶのが、<글 못한 놈 붓 고른다>(弘法筆を選ばず)という朝鮮のことわざです。これを心の中で何度も復唱しては自分を戒め(笑)、一筆書いては筆先を整え、一筆書いては…を繰り返し、めげずに書き続けました。依頼された字体は行書体でしたし、それほど難しい文字ではなかったので、さっと書けるだろうと甘く見ていましたが、ご無沙汰すぎてすっかり忘れていました。書道にゴールなどないということを。たくさんあった半紙がみるみるなくなっていきました。でもこの飽くなき作業が好きだったなと、そんな気持ちも思い出しました。
私が今回書いた字は、素人目にはきっと達筆に見えるんだと思います。決して慢心ではなく、そうでなければ習字に費やした膨大な時間と努力が泣きます(汗)。しかし当人としては技術ももちろんそうですが、それ以上に起筆や運筆などの筆法の誤りを含め良し悪しを判断する批評眼が失われていると感じました。学生のころのようにきっちり毎週は通えずとも、定期的にちゃんとした指導を受けたいものです。
何に関しても共通して言えることですが、やはり「継続は力なり」ということにつきます。文章を書くことも然り、ただひたすら修練あるのみですね。
しかしながら、依頼されたあの意味深な文言が一体何に使われるのか? 使途も聞かずに書いておきながら、いまさら気になっています。(淑)