ハルモニたちの声を
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今月中旬、日本軍「慰安婦」被害女性らが韓国から来日し、日本各地を回りながら活動を続けている。15日には北海道朝鮮初中高級学校を訪問。ウリハッキョの生徒・教員らと交流を深めた。編集部からは北海道が地元の(理)さんが取材にあたり、詳しい内容はイオ11月号に掲載されます。
24日には参議院議員会館で3名のハルモニたちを迎えて院内集会が開かれ、私も足を運んだ。今回来日されたハルモニたちを含め被害者らはみな80を超えたご高齢で、一回一回の来日が身体にも心にも大きな負担となるのは言うを待たない。韓国への自由な往来が困難な現状において、被害者から直接お話を聞く機会は極めて限られていることを踏まえればこの機会を逃せない、と永田町へ向かった。
集会では林博史関東学院大学教授とアクティブ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料館wamの渡辺美奈事務局長が講演したほか、1994年、埼玉教育会館での金学順ハルモニの証言映像も上映された。壇上でマイクを握り締め一つ一つ搾り出すように言葉を紡ぐ姿は、約20年後のこんにちのサバイバーらの姿とぴたりと重なって、被害者らが求めた公式謝罪と賠償が一向になされないまま過ぎてしまった歳月に悲嘆を禁じえなかった。
この日証言をされたのは朴玉善ハルモニ(90)、李玉善ハルモニ(87)、姜日出ハルモニ(86)。以下、サバイバーらの声を紹介する。
朴玉善ハルモニ
私は「アライアキコ」と名づけられた。14歳で連行され、今90歳だ。自分は長生きして日本政府の謝罪を待っていたがもう先がない状況だ。生きている間に解決してほしい。黙っていてはいけないと思い、勇気をもって日本に来てこうして話をしている。みなさんが温かく迎えてくれて、真剣にこの問題に向き合う姿を見て、もしかしたら明日にでも解決するのではないかと安心している。問題の解決のために、みなさんの力を貸してほしい。
李玉善ハルモニ
15歳で中国に連行され、60年ぶりに韓国に帰ってきた。その間の苦労について考えてみてほしい。私がこうして話をしなくても、女性たちを連行して何を行ったか、日本政府はすべて知っている。「慰安所」は人が住む場所ではなく、いわば屠殺場のような場所だった。食べるものはなく雑穀に味噌をつけて食べた。暴力をふるわれ、目も耳も悪くなって歯も失った。何度も逃げては捕まえられ、そのときの傷がまだ残っている。私たちがお金儲けをしていたというのなら、私たちにお金を渡したという人は名乗り出てください。戦争が終わって日本軍は私たちを置き去りにして逃げた。必ず謝罪、名誉回復、賠償しなければならない。そして歴史の真実を必ず教科書に載せて名誉を回復してほしい。
姜日出ハルモニ
日本は朝鮮を奪った。国がなかったために私たちは強制的に連行された。私たちはこのことを民族の歴史として記憶しなければならない。
安倍首相は私たちのことを人間とも思っていない。なぜ私たちを無視するのか。なぜこの場にいないのか。ここに来てきちんと謝罪すべきだ。日本政府の対応を見ていたら、食べ物ものどを通らない。このまま謝罪しないなんてだめです。だめです。謝罪をしなければなりません。
被害者らは何度もマイクをくれと求めては、謝罪と賠償をしてほしいと切々と話した。語りつくせない思いが次から次へと溢れてくるようだった。
集会後、一言お礼を伝えようとハルモニたちのところへ向かうと姜日出ハルモニが「在日同胞か。屈せず勉強をがんばりなさい」と私の手を強く握ってくれた。その言葉に込められた思いを、しわだらけの、柔らかい手に込められた力を、しっかりと受け止めたい。(淑)