取材と原稿執筆と記憶
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今日は、「宇宙人はいるのか?」というテーマでブログを書こうと思っていたが、年初に書くようなことでもなく、ネットで少し検索すると、このテーマで本当にたくさんの人たちがいろんなことを書いているので、ばかばかしくてやめることにした。
ということで、イオの編集作業に関することについて書きたい。
以前このブログで、字がきたなくて、自分の書いた取材ノートの文字が判読できないことがある、情けない、と書いたことがある。でも、そんなことはやはりほとんどなくて、取材内容はきっちりと把握している。当たり前だ。
イオは月刊誌ということもあり、取材をした日から原稿を書くまでの間に、けっこう幅ができる。取材をしたその日に大至急で書く場合もあれば、取材したけれど誌面のスペースがなく来月に持ち込みとなり2ヵ月後に書くという場合もある。そんな場合でもさっさと書けばいいのだが、なかなかそういうわけにもいかないのが人間だ。
これまでの経験で、不思議と言うか、面白いと思うのは、原稿を書かないままだと、結構な日数が経っても、取材ノートを読み返すと取材した内容を細部まで覚えていて困難もなく書けるのだが、いったん原稿を書いてしまうと、すぐに内容を忘れて取材ノートを見ても思い出せないことが多いのだ。
原稿を書き終わらない状態の時は、脳のどこかが緊張感をもっていて記憶のストッパーが無意識のうちにかかっているように思える。書いてしまうと、ストッパーが外れてしまう、そんな感じがいつもある。
今までの取材ノートをすべて残している記者もいるようだが、私の場合、例えば1年前の取材ノートを見なおしても細部はほとんど覚えていないので、置いていても意味がないと、ある程度の期間が過ぎたら捨てている。社会に出てからの取材ノートを全部残していたら取材ノートだけで本棚が一杯になってしまうだろう。
他の編集部員は、取材ノート、残しているのだろうか?(k)