「無償化」裁判、勝訴の日まで
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高校無償化制度からの朝鮮学校排除の問題と裁判闘争について、当ブログで今週水曜から連日取り上げているが、私も17日の提訴及び記者会見、翌18日の集会を通してこの問題について改めて思うこと、また昨年1月の大阪を皮切りにいくつかの裁判闘争の現場を見ながら感じることを書きたいと思う。
各地で係争中の訴訟形態についておさらいすると、東京と福岡が制度除外によって被った被害に対して慰謝料を求める国家賠償請求訴訟で、大阪は朝鮮高校を無償化の対象に指定することを求める「義務付け訴訟」、愛知、広島はその両方の2種類の裁判が争われている。
大きく見ると上記の二つに分けられるが、裁判の焦点はそれぞれ異なり、各地では知恵を絞って工夫を凝らしながら裁判闘争が進められている。
今回満を持して提訴に至った東京では、集会で李春熙弁護士が「訴状は、生徒たちと意見交換し弁護団で議論を重ねながら、事実と経過を一つひとつ積み上げて、法律家として最低限の良心と法解釈能力があれば、違法だと言えるものを作った」と話していたように、「高校無償化法に則り、朝鮮高校生徒への就学支援金不支給は違反である」という、極めて論点を焦点化した訴状となっている。李弁護士は、「訴状を見るたびに身の引き締まる思いだ」とも話しており、訴状に込めた「勝訴」への強い意志が感じられた。
一方昨年12月に広島地裁で開かれた第1回口頭弁論での広島朝鮮学園の韓政美理事長、生徒代表による意見陳述では、朝鮮学校と民族教育への思いが切々と語られた。このように各地では手続き論、実体論、民族教育の歴史的正当性…、多方面からのアプローチで試行錯誤が続いている。
「高校無償化」からの朝鮮学校排除という国家権力による暴力は、継続する日本の植民地主義の最たる現れといえるだろう。「無償化」裁判は、戦前戦後と一貫して続いてきた日本による在日朝鮮人に対する抑圧への抵抗、尊厳回復の意味を持つ。ある同胞弁護士は「『無償化』裁判なしに在日朝鮮人運動の未来はない」と断じ、また、他の同胞弁護士は「裁判を契機に、もう一度同胞自身が立ち上がり、朝鮮学校と同胞社会を守り抜くという思いを一つにしなければいけない」と話していた。同胞弁護士らの言葉は、日本社会に蔓延する差別と排除の風潮の中でともすれば無力化されそうな当事者――私たちへの、「やられっぱなしでいいのか」という叱咤激励に思えた。
そして、各朝高で原告となった朝鮮学校の生徒たち。取材を通して最も多く聞いた言葉は「後輩たちのために」だった。このシンプルな言葉には、1世から2世、3世と、同胞たちが愛情を注いで守ってきた民族教育を自分たち自身の手で守り受け継ぐという精神が集約されていると思う。
誇らしいウリハッキョの生徒たちに大きく背中を押されながら、勝訴まで一時も裁判に目を離さず継続して伝えることで、裁判運動を支えていきたい。(淑)