48年ぶりの釈放
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「袴田事件」の再審開始の決定が下された―。昨日、出先での仕事を終えた後にチェックしたスマートフォンから流れてきたニュースに目を奪われた。
「袴田事件」とは、静岡市(旧静岡県清水市)で1966年、みそ製造会社の専務一家4人を殺害したとして元プロボクサーの袴田巌さん(78)の死刑が確定した事件のこと。袴田巌死刑囚側の第2次再審請求で、静岡地裁(村山浩昭裁判長)が27日、再審を開始し、死刑執行と拘置を停止する決定を出したのだ。死刑確定事件で再審開始決定が出るのは6例目。拘置の執行停止決定は異例のことだという。
1審公判中に見つかった血痕付きの5点の衣類が有罪の最重要物証と位置付けられていたが、今回、裁判所側は「血痕が袴田死刑囚や被害者と一致しない」とする弁護側のDNA型鑑定などを「新証拠」と認め、「後日捏造されたとの疑いを生じさせるもの」と結論づけた。裁判長は「無罪の蓋然性が相当程度あることが明らかになった以上、拘置を続けることは耐え難いほど正義に反する」と述べた。各メディアが詳しく報じているので刑事司法に素人の私があれこれ論評する資格もないのだが、画期的な決定であることは間違いない。
袴田氏は即日釈放された。30歳で逮捕されて以来、実に半世紀近くも拘束され、「死刑囚として世界で最も長く収監された」とギネス記録に認定されている。逮捕(66年8月)から約48年、1審の死刑判決(68年9月)から45年、最高裁での判決確定(80年12月)から33年。今回の裁判所の決定は喜ばしい知らせなのだが、一方で、あまりにも遅かったのではないか、という思いは消えない。
身に覚えのない容疑で逮捕、起訴され、死刑判決を受け、無実の訴えも聞き入れられず、死の恐怖を30年以上も毎日味わいながら独房の中で暮らすというのがどれほど苦しく恐ろしいことなのか。もし私が袴田氏だったら、もし私が彼の家族だったら…。私の貧困な想像力では、その途方もない不条理の一端にすら及ばない。失われた時間、長期の拘置所生活で傷ついた心と身体、もはや何をもってしても償うことはできないのかもしれないが、今は本人と家族に少しでも安らぎの時が訪れることを願ってやまない。
昨年の国連拷問禁止委員会における「日本の刑事司法は中世」という指摘を待つまでもなく、誤認逮捕や冤罪を産む制度の構造的な問題点はこれまで多々指摘されてきた。袴田事件にも取調べ段階での拷問による自白強要など違法な捜査手法に疑惑の目が向けられてきた。証拠をでっち上げて無実の人間を陥れた捜査当局と、それを見抜けず死刑判決を下した司法当局。両者が一体となってひとりの人間の人生を台無しにした国家犯罪といっても過言ではない。検察側は即時抗告の姿勢を示しているが、ことここにいたっても、彼らにとって被害者個人の尊厳より組織のメンツのほうが大事なのかと暗澹たる気持ちになる。
再審が無事始まることはもちろん、なぜこのようなことが起きたのか、責任の所在はどこにあるのか、徹底究明が待たれる。この社会の一員として、決して他人事ではない。(相)