「NIPPON」
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先日、サッカーW杯に関してのある在日朝鮮人のブログを読んで、思うところがあったので紹介したいと思う。
「いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記」というブログで、「在日に対する「あなたはサッカー日韓戦で日本と韓国のどちらを応援しますか?」に回答する」というタイトルの文章を掲載している。Http://d.hatena.ne.jp/dattarakinchan/20140612/1402586181
日本と韓国(もしくは朝鮮)が対戦したとき、どちらを応援するのか?という質問を、私自身はほとんど受けたことがない。そういう環境にない(職場が朝鮮人しかいないなど)からだろう。でも、先のブログの筆者が前半部分で言っていることにはうなづける内容が多い。
先のブログは「日韓戦」ということで論じているので、これから書くことは、先のブログとはまた別の話になるのだが、「どちらを応援する?」という質問は受けないけれど、「日本に住んでいるのだから日本を応援するのは当たり前」という圧力はよく感じる。日本がその他の国と対戦したときは、「どっちを応援するの?」という質問以前に、「日本を応援している」という前提で話が進む。
私の周囲にいる朝鮮人で、日本の会社で勤めているなど日本人に囲まれて生活している人たちはもっとその圧力を感じているようで、日本戦の翌日、勝っても負けても、同じように喜び同じように悲しむのが当たり前という感じで、職場の人間が接してくるので気を使い疲れるという話をよく聞く。
私もたまに同じような場面に置かれるときがあり、「前半の終了間際に○○選手が、チャンスを確実にものにしていたら、試合の流れはどうなっていたかわかりませんでしたね」などと、当たり障りのないことを言って相手に合わせることがほとんどだ。
どこの国のマスコミも自国の試合結果を大きく扱い一喜一憂するのだから、日本のマスコミもそうするのだが(良いことだとは思わないが)、その騒ぎ方が年々エスカレートし、同調するように渋谷などでの若者の動きが活発になっているようだ。スポーツというものを利用して、権力者が「国民」をある方向に引っ張ろうとしているのではないかと危惧してしまう。今回の椎名林檎の歌う曲はその典型的な現れであろう。それが私には圧力として感じてしまう。この圧力は東京オリンピックに向けてどんどんエスカレートしていくことだろう。
本来、どこの国(チーム)を応援しようが人の勝手である。しかし、ブログのような公の場で私自身が応援するチームを大っぴらにすることに躊躇を覚える。一般の日本人にはなかなか理解できないかもしれないが…。
蛇足だが、ひと昔前はたまにタクシーに乗ることがあった。そんなときによく実験したことがある。運転手さんに結果を知っているのに「今日、野球は勝ちましたか?」と声をかけるのだ。そうすると90%以上の確率で、「今日は江川が打たれて負けました」などと答えてくる。そういう時は、やっぱりなと思いながら、前提になっている読売ファンということに乗りながら、運転手さんと負け試合についてあれこれと話をするのだ。
私の性格もちょっと曲がっていると言えるだろう。(k)
※この文章は、25日5時(日本時間)開始のコロンビア対日本戦の前に書いています。