朝鮮での取材で思うこと
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5月下旬から日本各地の朝高が修学旅行で朝鮮を訪問している。毎年この時期は修学旅行シーズンで、平壌ホテルにも5月から愛知、九州、続けて神戸、広島の生徒らが訪れた。ホテル内では生徒らが歌の練習をしたり、空き時間には部活の自主練をしていてにぎやかだ。
朝高の修学旅行といえば移動のバスの中での歌合戦がおなじみで、現地ガイドが新しい歌も教えてくれる。私が高校3年生の頃は「통일아리랑」をよく歌っていた。数人の朝高生に尋ねたところ、朝高生たちに人気の歌は「내 심장의 목소리」と「인민의 환희」だった。どちらもモランボン楽団が歌った人気ソングだ。
そのときどきの朝鮮の時世や社会全般の雰囲気を表す流行歌は、生徒たちにとって、ともすれば訪れた場所よりも印象深く、長く、記憶に残るもの。通常の学校生活に戻った生徒たちは今頃、ウリナラで習った数々の歌を懐かしく口ずさんでいるだろうか。という自分も、連日テレビからも流れてくるそれらの歌をわれ知らず口ずさんでいる今日この頃だ。
6月も終わりに近づき、滞在期間もそろそろ折り返し地点が見えてきた。時間ばかりが過ぎて、慣れないこともまだ多くはやる気持ちもあるが、なんとか取材を続けている。朝鮮での取材はさまざまな制約を伴う、とは諸先輩方から聞いていたが、私は今回が初めてなのでなおさら悪戦苦闘続きだ。
中でも「言葉」。朝鮮語で現地の人と意思疎通できるというのはギリギリの及第点であって、現地の人の独特の表現や言い回しはもとより、日常的に飛び交う政治に関する語句も正確に聞き取って理解することが求められる。
その点ではまだまだ至らない。それどころかつい先日もトホホな聞き間違いをしてガイドのYさんを困らせてしまった。比較的わかるのは、数年前にとある目的で勉強した野菜や魚、果物などの朝鮮語くらい(苦笑)。
あんずは살구(サルグ)だ。今の季節、街路樹には黄金色のあんずが実っていて、平壌の街を彩ってくれている。おすそ分けでいただいたので食べてみたが、甘酸っぱくておいしかった。
話は変わり、朝鮮戦争が始まった日である6月25日を迎えて、金日成広場では平壌市民大会が行われた。広場には市内の労働者、大学生など約10万人の群衆が集い、普段ののどかな平壌の雰囲気とは一変して、緊張感が漂っていた。こういった行事では、朝鮮半島がいまだ「戦時下」にあるという現実を否が応でもつきつけられる。
この日だけでなく、取材先で出会った人や現地スタッフとの会話の中でも、朝鮮半島に横たわる分断体制を言葉の端々から実感させられることがままあった。朝鮮半島に関する問題を見るとき、「朝鮮戦争はまだ終わっていない」という視点は不可欠で、「戦時下」ということを前提に物事を見聞きし認識しなければならないのはいうまでもない。しかし生活の中でそれを体感している「本国」の人々の意識と自身のそれとでは、ずいぶんと開きがあるように思えた。
余談だが、どうも朝鮮で私は21、22歳くらいに見えるらしく(ごめんなさい)、ある店では年齢を言ったら従業員に「嘘をいえ」と笑われ、百貨店では販売員に「記者なの? いったい何歳で?」と訝しげに聞かれた。言われるたびに(やっぱり朝鮮語が拙いからだろうか…)と落ち込む。市民大会の日も、ハシゴを持ってくれたり親切に接してくれた現地メディアのカメラマンに年下だと誤解され、「ヌナに向かって失礼なことを言ってミアナムニダ」と冗談交じりに謝られた。でも託児所に行った際、子どもを迎えに来た母親が私を見ながら「ほら、アジミ(おばさん)にあいさつして」と子に促したときは、ちょっとほっとした。(淑)