「ルビコン川を渡る」
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2014年7 月1日、安倍政権は集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をした。
私はこのニュースを、閣議決定される前日、そして当日も、背中にヒタリヒタリと静かに迫りくる恐怖とともに、聞いていた。
ついにここまで来てしまったのかと。
そして過去の戦争に何も学んでいない安倍政権に無性に腹がたった。
ある弁護士はこの事についてニュースで「ルビコン川を渡る」という表現を使っていた。
そしてある作家は「ポイントオブノーリターン」と語っていた。
どちらも「もはや後戻りできない段階」という意味だ。
50年後には日本の地は戦争に巻き込まれているかもしれない。
戦争でなくとも、テロの標的にされているかも知れない・
本や映像、話でしか分からなかった戦争の恐ろしさが、現実のものになるかもしれない分岐点に自分たちがたっていると思うと、どうしようもなく歯がゆかった。
自分は日本国籍ではないが、私の祖母は両方とも日本人だし、産まれ育った日本が好きだし、そして平和憲法である 9条を戦後守り抜いてきた日本が本当にすごいと思っていた。
その大切なものを簡単に、そして姑息なやり方で捨ててしまう愚かさに、本当に腹が立った。
安倍の記者会見を聞いて、「すぐに戦争に直結しないと言ってるじゃないですか!」といった意見も聞かれたが、戦前も政府のいう事をそのまま盲信し、戦争に突入していき、気づいた時にはもうすでに遅い、そんな事態にまきこまれてしまったという戦争体験者たちの声がリプレイされた。その危険性があることにまったく気づいていないことに、むしろ怖さを感じた。
TBSのニュースでは、 昭和史研究の第一人者である 半藤一利さんの声が報じられていて、
現在の状況は、戦前ととてもよく酷似していると語っていた。
それでも違う点が、国民の意識だとも語っていた。
官邸前デモで数万人の人が集ったように、危機意識をもった人たちもたくさんいると。
ルビコン川を渡ってしまった日本。
しかし、日本のこれからを決めるのは、この国に住むひとりひとりの意識なのだと。
集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がされた次の日、所用で区役所に出向くと「平和祈念像」に目がとまった。
作者は長崎にある平和祈念像を作った北村 西望氏作であり、平和祈念像の立像試作だという。
戦争を体験した昭和生まれの人たち、そしてその辛く悲しい歴史を伝え聞いてきた、その子孫たちが願ってやまなかったであろう平和への祈念、その想いを決して無駄にしてほしくない。
空をまっすぐに指さし、平和への祈念を込めて前に進もうとしている像を見て、思った。(愛)