BRIDGE FOR PEACE
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昨晩、小さな集まりで、フィリピンでの戦争犠牲者と元日本兵の話を聞いてきた。
先の戦争被害について、日本と朝鮮半島の関係から考えてきた筆者にとって、第2次大戦中、100万人を越えるフィリピン人が命を失った事実は衝撃だった。日本を遠く離れたかの地で、日本兵も48万人、日本と戦った米兵も1万6000人が亡くなっている。太平洋戦争末期のフィリピンでは、戦況が悪化するにつれ、民間人への略奪、虐殺が頻発したが、それは日本軍の食糧補給が間にあわなかったことはもちろん、戦局を見誤り、意味もない戦いを続けたからだった。
企画したのはBRIDGE FORPEACE(http://bridgeforpeace.jp/)という今年10周年を迎えるグループで、フィリピンでの被害について、フィリピンの一般市民と元日本兵の「両者」の証言を集め、互いをつなげる活動をしている。収録された映像は、夫や父親、きょうだいを日本兵に殺されたフィリピンの親族たちの前で上映したり、日本の高校や大学で教材として利用されている。
「強盗、強姦、殺人、放火をやった」という日本兵の証言が流れたかと思えば、フィリピンの女性が涙を流しながら性暴力を受けた被害を告白していた。その姿をそばで見守る夫と孫と思しき幼子。
「戦争はおそろしい。人を殺すことができる」―。上官の命令であれ、人を殺めたことを一生抱えながら生きた元日本兵たちは、フィリピンの人たちに「謝罪するすべを知らなかった」と話し、インタビューを取りにきた若者たちに感謝をのべていた。
日本がアジア諸国に対して行った支配や数々の収奪については、今までいろんな人と話してきたが、話がかみ合わないことがよくある。それは当然のことで、日本の学校教育で近代の歴史を詳しく教えないからだろう。ならば家庭ではどうか。戦地に赴いた祖父母たちは、わが子や孫たちに自分たちが戦地でやったことを伝えているだろうか。企画者の日本人男性に聞いてみた。
Sさんは、大学の頃、インパールで軍人生活を送った祖父に「人を殺したことがありますか」と聞いたことがあると教えてくれた。家族の誰ひとりとして聴かなかった問い。温和で人の悪口など言ったことのない祖父は、戦場で友人を銃殺された憎しみから銃を向けたという。殺した時の話を淡々とする祖父を見て、「戦争が始まれば、今の自分も人を殺す」と感じたとSさん。
映像に登場した、元日本兵の一人は、「今の政治家は自分が死ぬとは思っていない。死ぬということに直面した時に初めてわかる」―。死線を越えてきた元日本兵たちは、戦争に向かう今の日本の状況を心から憂いていた。
肉親を殺されたフィリピンの人びとの悲しみは、今も続いている。底のない深い悲しみ…。
元日本兵の告白に「私は彼らを赦します」と語る老婆を見ながら、両者の傷を癒やすこの活動が広がれば、戦争体験者が少しでも穏やかな余生を送れる気がした。(瑛)