仁川アジア大会と釜山大会の思い出
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9月19日、仁川でのアジア大会が開幕しました。
朝鮮の選手たちは、ウエイトリフティングで3つの金メダルを獲得するなど素晴らしい活躍を見せています。朝鮮選手団の今後の活躍が期待されます。
今回、朝鮮民主主義人民共和国の応援団は参加できなくて残念でしたが、南の市民たちが「南北共同応援団」を組織し、連日会場で北の選手たちに大きな声援を送っています。朝鮮選手の活躍と南の市民たちの応援の模様は朝鮮新報のアジア大会特設サイトで紹介されています。
http://chosonsinbo.com/inchon/
アジア大会が韓国で開かれるのは、2002年の釜山大会以来12年ぶりのことです。釜山アジア大会は記者として直接現場を取材しています。非常にハードな3週間でしたが、忘れられない取材現場の一つです。
釜山大会では、女子のサッカー、卓球団体、マラソン女子のハム・ボンシル選手の優勝など朝鮮の選手たちが大活躍し、また、朝鮮の「美女応援団」も参加して大旋風を巻き起こしました。南の市民たちの歓迎ぶり、歓喜の姿はすさまじいものがありました。その時に撮影した写真の中から南の市民たちの応援の姿を何枚か紹介したいと思います。
大会の最初、北の選手たちを沿道で歓迎する市民たち
女子ソフトボール会場で北の選手たちを応援
応援席には、「祖国統一」「我らは一つ」というプラカードがいつも見られた
女子マラソンで優勝したハム・ボンシル選手を応援する市民たち
釜山港に停泊し、北の応援団の宿舎となっていたのは万景峰92号。大会が終わって出航する万景峰92号を統一旗で見送る
2000年の6.15共同宣言から2年、北と南の関係が非常に良い時期でした。開会式で北と南の選手が統一旗を掲げて入場する姿、北のケ・スニさんと南のハ・ヒョンジュさんが一つの聖火をもって点火する姿、閉会式で北と南の選手たちが手を取り合い、語り合い、記念写真を撮り合う姿は忘れられません。
釜山大会では、朝鮮民主主義人民共和国の記者という資格での取材でした。胸には朝鮮の国旗のワッペンをつけて取材していました。そうすると、「北から来た記者」ということで、私に対する南の市民たちの歓迎ぶりもたいへんで、応援席ではあちこちから握手を求められて、なかなか前に進めないということもしばしば。サインを求められることもありました。
取材する立場なのに、南の記者から取材を受けることも何度かありました。実際に紙面に載ったのかどうかは知りませんが、一つだけ、私の手元に残っているものがあるので、紹介したいと思います。
今見ると、やはり若いですね。残念なのは、私の名前が間違って掲載されていることです。
あれからもう12年も経ったのかという感慨があり、この間、朝鮮半島情勢が大きく変わったことを実感せざるをえません。今回の仁川アジア大会が北南関係がより改善する大きなきっかけの一つになればと願っています。(k)