町の変化と日本社会―特別永住の問題に思う
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最初の写真は2009年4月5日の日刊イオ(町の変化)に掲載したものです。日刊イオは2009年3月1日(3.1独立運動90周年記念日)にスタートさせたので、本当に初期のころに書かれたものです。それから5年半の歳月が流れました。
http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/204f02df899420a348a1cf0308abf335
その時のブログで、家の近くに新しい道路を二つ作っている、いつになったら開通するのかわからない、ということを書きました。17年以上前に現在の家に引っ越しましたが、その時から道路建設のために立ち退きが進められており、写真に見るような段階にようやく進んでいたのでした。
それから5年半。
道路は次の写真のような段階まで工事が進みました。5年半前と少し違う角度から撮った写真です。この部分だけを見ると完成していますが、まだ200メートルほどだけで、残りの部分は手付かずです。まだまだ開通は遠いようですが、それでも町の様子がずいぶん変化したなと感じます。
09年4月5日のブログは、朝鮮民主主義人民共和国がロケットを打ち上げて、それに対して日本社会全体が非難を強めていた時期に書かれたものでした。
町の様子も変わりましたが、それから5年半、日本社会もそれなりに変わったと思います。変わったというか、悪くなって行ったというか。
09年4月の頃は、まだヘイトスピーチという言葉は一般的に知られていなかったと思います。在特会が京都の朝鮮学校を襲撃したのは09年12月4日でした。朝鮮学校だけを排除した「高校無償化」問題も起こっていなかったし、各地で朝鮮学校への補助金をストップするということも起こっていません。
月刊イオ10月号で特集を組んだように、特別秘密保護法も成立していなかったし、集団的自衛権使用容認の閣議決定もされていなかったし、各地の過去を反省する碑や説明版が撤去される動きも今ほど顕著になっていませんでした。
生活保護の受給をめぐって、弱い立場の人たちや外国人がいじめられ、最近では、日本の植民地支配により日本に住むことになった在日朝鮮人らの特別永住資格まで廃止しようという動きや発言が政治家などから出てきて、また話題になっています。
蛇足ですが、今回のことで在日朝鮮人の在留資格についてあいまいになっていることを確認しようと、「特例永住」という言葉でネット検索してみました。しかし、特例永住のことはほとんど出てこずに「特別永住」のことばかりが出てきました。
法126-2-6対象者、その子、その孫、協定永住、特例永住、特別永住…と、在日朝鮮人の在留資格についてきちんと知ることが大切です。上にあげたものを見ると、私も生まれてから何度も在留資格が変わっていることがわかります。
すべては日本が、朝鮮に対する植民地支配の清算をきちんとしなかったこと、在日朝鮮人の法的地位の問題をその場しのぎで処理してきたこと、朝鮮半島の分断に加担し分断を在日朝鮮人の法的地位にまで持ち込んだこと、在日朝鮮人を常に管理・監視の対象としてきたこと等々が悪いのです。(k)
無題
>09年4月の頃は、まだヘイトスピーチという言葉は一般的に知られていなかったと思います。在特会が京都の朝鮮学校を襲撃したのは09年12月4日でした。
それからほんの5年でこのありさまですから、ある意味感慨深いものがありますね(苦笑)。
日本社会の政治・言論文化の急激な反動劣化とそのあまりの拡散力に、同胞の間でも一種の「徒労感」「あきらめ」ムードが深まりつつある気がします。
私は、20年くらい前に「自由主義史観」が世に知られはじめた時も、在特会が一部のネットユーザーの間でもてはやされつつあった時も(連中の言う「史上初の朝鮮大学校前デモ」が実行されたのは、京都ハッキョ襲撃よりもう少し以前のことだったはずです)、周囲の同胞に「これはゆくゆくえらい事になる」と機会があれば話していましたが、総連の専従にすらほとんど耳を貸してはもらえませんでした(大方の反応は「ただの少しアタマのおかしい連中だろう」的なもの)。
後出しジャンケンの「オレってスゴイ自慢」や恨みごとを言いたいのではありません。もともと私はその手の情報に過剰に反応しやすいタチではあった、というだけのことです。
おそらく当時、韓国社会における民主化の進展とそれに伴う南北和解ムードの醸成が、それだけ広く在日社会を覆い希望となっていたこと、そしてそれを優先視していたことの結果なのだろうと、今となっては自分なりにそう分析しています。
私自身、上述のような「警告」めいたことを語りながら、その実そういう雰囲気にすっかりのまれてもいたのですから、ムリもないことでしょう。
とにかく今は、このツケを払うことに全力を挙げなければなりません。多くの日本人がポピュリズム的国粋主義に傾斜していく一方で、また別の日本人たちもそのなし崩し的な動きに反対の意を表明しています。
次にわれわれが何をなすべきか。
トップダウン的運動も重要ですが、なにかもっと同胞大衆の意識、心の琴線に直接はたらきかけるような取り組みが必要な気がします。