「もうひとつの約束」
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一昨日、なかのZEROで開かれた韓国映画「もうひとつの約束」の上映会に足を運んだ。
「もうひとつの約束」はサムスン電子の半導体工場での労災裁判を、実話を基に描いた作品だ。今年2月、韓国で公開され話題を集めた。
以下、いつものごとくあらすじや感想を書き連ねたい。
あらすじは次のとおり(作品のサイト から引用)。
江原道・束草のタクシー運転手、ハン・サング(パク・チョルミン)は妻と2人の子供と、平凡ながら幸せな家庭を築いていた。娘のユンミ(パク・ヒジョン)が韓国随一の企業、ジンソン電子の半導体工場に就職したことに、家族も誇らしげだ。ところがほどなく、ユンミの体に異変が現れる。ジンソンの社員が見舞金を手に一家を訪れ、辞職願と労災申請放棄の覚書にサインを迫る中、ユンミは22歳の生涯を閉じる。病名は急性骨髄性白血病。
サングは労災を申請するが承認されず、労務士のナンジュ(キム・ギュリ)と共に、被害者を集め提訴に踏み切る。ジンソンの執拗な妨害工作に離脱者が相次ぐ中、サングは言う。「絶対にあきらめない。父親だから」——そして裁判は結審を迎える。
前述のように、この作品は実話を基にしている。サムソン電子の半導体工場に勤めている間に急性骨髄性白血病にかかり、07年に亡くなったファン・ユミさんの父親、ファン・サンギさんが本作の主人公サングのモデルだ。ジンソンとは言わずもがな、サムスン電子のこと。
劇中、遺族らは労災認定を行う政府機関の勤労福祉公団を相手取り、被害者の病気を「労災ではない」とした決定の取り消しを求めて行政訴訟を起こす。
象とアリ、そんな表現がぴったりくるほど彼我の力の差は歴然。数多の困難が原告たちの行く手に立ちふさがる。ジンソン側は「企業秘密」を口実に資料の開示を拒み、政府の調査にも協力しないため、原告側による病気と有害物質の因果関係の証明は困難を極める。被害者側が労災を立証しなければならない現行法制度の問題が浮き彫りとなる。そして、金の力にモノを言わせた原告側の切り崩し、脅しや圧力による妨害―。原告側がせっかく探し出した証人も企業側に寝返ってしまう。
サムスンといえば、韓国のGDPの約2割を稼ぎ出すといわれ、「もう一つの国家」と呼ばれるほどの巨大企業。その絶大な影響力は経済のみならず社会の隅々にまで及ぶとされている。そんな相手を向こうに回すことの途方もなさは、韓国に住んでいないとなかなか実感を伴った形で理解するのは難しい。日本に置き換えてみるとどうなるだろう―。トヨタを相手に訴訟を起こす? いや、韓国における財閥の存在の大きさを考えると、この例えでも不十分かもしれない。
「私たちにも証拠があります。ここにいる労働者の体。病気の人々。 これが証拠でなければ、何が証拠ですか」
法廷弁論の最後、主人公が発した魂の叫びのようなセリフが胸に響いた。
結局、裁判所は5人の被害者の事例のうち、ユンミを含めた2人のケースについて労災と認め、不支給処分を取り消す判決を言い渡す。原告勝訴。映画の最後には本作のモデルとなった実際の原告たちの姿や映し出され、原告たちのたたかいが現在進行形であることが示される。
作品の筋立てはいたってシンプル。だからこそ、主人公らの思いや作品に込められたメッセージがストレートに胸に迫ってきた。企業側の不義を告発する本作だが、娘の命を奪っていった不正義に立ち向かう父親の物語、バラバラになった家族が再び一つになり、さまざまな境遇の被害者や支援者らがやがて「もう一つの家族」になっていく姿を描いたヒューマンドラマとしても見ごたえがあった。
作品制作や劇場公開にあたっては、劇中で主人公たちを襲った(実際に起こったことでもある)有形無形の困難に制作サイドも直面した。国内トップの大企業を告発する映画の製作に投資家の多くは二の足を踏んだ。リスクを考え、出演オファーを断る俳優も少なくなかったという。劇場も同様に、サムソンを向こうに回すことを恐れ、相次いで上映を見送ったり上映規模を縮小したのだとか。
にもかかわらず一般の人々の出資(クラウド・ファンディング)や出演俳優、スタッフらの熱意で映画は製作され、自主上映会運動が巻き起こるなど社会現象となったという。
作品上映後に行われたファン・サンギさん、キム・テユン監督らを交えてのティーチ・インも大変示唆に富んでいた。
人命に優先される企業の利潤追求の論理、権力や資本の抑圧による言論の萎縮など本作で描かれた問題は韓国だけのものではない。水俣病などの公害やアスベスト訴訟、福島原発事故―。日本を見ても、同じような問題は数多く起こっている。
今回の映画を通じて学んだことの一つに「労働者の知る権利」がある。劇中でも言及されていたが、半導体電子産業に従事する労働者は多くの化学物質や放射線を使う仕事をしているが、それらの物質にどのような危険があるのか、まったく知らない(知らされていない)。企業は作業環境と有害物質に対する情報を徹底して隠蔽する。労働者が深刻な病気にかかり命を脅かされても、どのような物質を使ったのかわからなければ労災認定さえ容易ではない。労働者の知る権利は自身の健康を守る第一歩であり、それは企業秘密に優先されるのだ。
「この映画に描かれていることで、韓国にあって日本にないものは、ひとつもない。あるとすれば、それはこの映画を世に出した『民主化運動の遺産』と『行動主義』であろう」。本作パンフレットに収録された西ヶ原字幕社代表の林原圭吾氏による解説の結びの一文だ。
政権よりも強大といわれる大企業に立ち向かった人々を描き、資本の論理の下で犠牲になる名もない人々の声をすくい上げた本作を観て、被害者の救済とは何なのか、虐げられた人々にとって法とは何なのか、そんな問いが心の中でうずまいた。
作中で描かれた訴訟は現在も続いている。
このたびは名古屋、大阪、東京で各1回限りの上映だったが、個人的にはぜひとも劇場公開を望みたい。(相)