映画「圧殺の海 沖縄・辺野古」
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11月30日の日曜日、新横浜まで行って、「圧殺の海 沖縄・辺野古」(監督: 藤本幸久、影山あさ子)という映画を観てきた。2014年7月1日に着工された辺野古の新基地建設に反対する沖縄県民の姿を追ったドキュメンタリーである。
今日のブログは、この作品を紹介したいと思う。
映画は冒頭、2013年12月27日、仲井真知事が国が提出した辺野古埋め立て申請を承認した記者会見の場面から始まる。知事の裏切りといえる、この申請承認から、辺野古の住民をはじめ沖縄県民たちの基地建設反対の闘いが本格的に始まることとなる。
映画は、前半と後半でその主な舞台が大きく変わる。
前半の映画の舞台は、辺野古近くにある在日米軍海兵隊の基地・キャンプ・シュワブのゲート前。基地建設用の機材の搬入を阻止しようとする人たちと、それに立ちふさがる機動隊と沖縄防衛局との衝突の場面が描かれる。
米軍基地建設に反対する人々を米軍が直接排除するのはなく、日本政府が尖兵となり抑圧している姿が明確となる。印象的なのは、車両の前に立ちはだかる85歳の島袋文子さんの姿だ。“沖縄を再び戦場にするのか”という言葉に、沖縄生まれの機動隊員は自分の祖母のような年齢の島袋さんの顔を直視できない。
前半はどちらかといえば、淡々とした描写が続く。
前半から一転、映画の後半は辺野古の海が舞台となる。8月に基地建設のためのボーリング調査が始まると、県民たちは海上に出て反対闘争、阻止闘争を繰り広げる。その闘いはまさに決死という言葉が当てはまる。カヌー隊を組織し調査現場に突進する人々。それをゴムボートに乗った海上保安官たちが容赦なく追いかけボートに引きずり上げていく。カヌー隊の頭に付けられたカメラが映し出すのは、権力者たちの躊躇のない暴力だ。
それにひるむことなく、何度でも調査現場へと向かうカヌー部隊。
過去の戦争でもっともひどい戦場となり、多くの人々が殺され(日本軍によっても)、敗戦後も米軍の基地の犠牲となり続けた、沖縄の人々の、「殺されることも人を殺すことも二度とごめんだ」という意志が、現在、辺野古に集結されていることを映画は観る者に伝えてくれる。
最初は反対闘争に参加する人がそれほど多くなかったキャンプ・シュワブのゲート前だが、映画の最後の場面では数千人の人々で埋め尽くされるようになる。
上映後、監督の一人である藤本幸久さんがマイクを持って次のように語っていた。
「沖縄知事選の時も東京のマスコミはまったく取材陣を送らなかった。辺野古の問題が意図的に見えなくさせられている」。そして、沖縄以外の人々が無関心でいることがもっとも危険なのだと訴えていた。
映画が浮き彫りにしているのは、あまりにも危険な安倍政権の姿である。戦争への道を進むのか否か。安倍政権の自分勝手な目論見で衆議院選挙がスタートしたが、一人ひとりの投票は、辺野古での闘いのどちら側にくみするのかを問うものなのではないのか。私は投票できないが…。
「圧殺の海」はこれから、基地反対を掲げた翁長雄志氏が当選した沖縄知事選の模様を加えて再編集され、各地で公開される予定だ。ぜひご覧を。(k)
※上映情報などは、森の映画社のHP(http://america-banzai.blogspot.jp/2014/11/blog-post.html)に掲載されています。