南相馬へとんぼ返りの旅
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先週初め、福島県の南相馬市へ行ってきました。夜に到着し、翌日の朝に出発したので、ほとんど滞在時間はなかったのですが、感慨深いものがありました。
2011年3月11日にの東日本大震災が発生しますが、私自身、震災が起こったときもその後も、東北地方を訪ねたことがなく、今回が震災後初めての訪問となったからです。
震災が起こったとき、月刊イオでも急遽内容を変更して、震災の様子や被災地の同胞たちの姿を伝えました。震災直後に被災地に駆けつけたのが(相)さんで、次の号では(相)さん、(里)さん、(淑)さんの3人が現地へ入りました。
本当のことを言うと、私も現地へ入り取材したかったんです。しかし、私が行くよりも他の編集部員が行くほうが、いろんな意味で良いと判断したわけです。その判断は間違っていないと思っていますが、本当は私も行きたかったんです。
震災の混乱が収まった後も(いまも原発事故は収束しておらず混乱は続いているわけですが)、被災地の担当をそのまま引き継いだこともあり、またタイミングが合わず、結局行かずに4年以上が過ぎたわけです。そのことが、いろいろと心の中でわだかまりとなっていました。
今回、東京へ向かう朝のバスが出発する前の、本当に少しの時間を利用して、地元の村上さんに車で海岸の近くまで行ってもらいました。私が訪れたのは南相馬市の原町区で、JR原ノ町駅から海岸方向へと向かいました。
南相馬市は震災の揺れによる被害はあまりなかったようですが、津波の被害が大きかったそうです。海岸から2キロほどのところを通る国道6号線あたりまで津波が押し寄せて、町を破壊したと言います。また事故を起した東電の福島第1原発から25キロほどの距離だということで、最近、一般の家庭などの除染作業が始まったそうです。私が訪ねた場所は避難指示区域にはなっていませんでしたが、南相馬市には避難指示区域となっているところもあります。
海岸へと向かう道路を進むと、あたり一帯は広大な野原になっていました(写真上)。海岸沿いでは堤防か何かの工事をやっていて、海の直前までは行けずに海も見ることはできませんでした。家は新築ばかりで、仮設住宅もありました。
帰りのバスの窓から外を眺めると、ところどころで除染作業が行われており、放射能で汚染された土などを包んだ黒いシートの塊が本当にたくさん置かれていました。高速道路の常磐道が全面開通したのは、やっと今年の3月1日のことです。高速道路に放射線量の値を示す電光掲示板がところどころに設置されていたのが印象的でした。
今回はとんぼ返りの訪問だったので、これから、いろいろと機会を見つけて、福島県だけでなく東北地方を訪れたいと思っています。(k)