在日の「故郷」
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「故郷は?」と聞かれると、あたりまえに「済州島」と答える。でもハラボジが「済州島」と答えるのとは、根本的に違うことは分かっている。
ハラボジにとっては青春時代の思い出、戦争や済州4.3で味わったつらい記憶がよみがえる場所だが、私は足を踏み入れたことがない。漢拏山も登ったことがないし、海の景色を見たこともない。済州島と言えばみかん。とても甘いというが、食べたことがないからわからない。「故郷」だけれど、「こんなところがあるんだよ」「これが有名だよ」と人に教えてあげられる実体験の情報もまったくない。それよりも東京○○区のことの方が断然詳しい。もちろん愛着もある。理由はと聞かれると単純に生まれ育った場所だから。長く居る分たくさんの思い出がある場所だからだ。
一昨日イオ7月号の特集のことで、朝鮮の植物について長年調査をしてきた玄さんを訪ねた。ハラボジと同じ済州島出身で年齢も近い。玄さんが日本に渡ってきたときの話や、後に済州島を訪れたときに見た変わり果てた故郷の様子などを聞きながら、ハラボジの「故郷」と重なった。
途中、玄さんがこう言った。「東京の荒川区だったり文京区だったり、それが君たちの故郷でしょう」。冗談交じりではあるが、なにも間違っていない。1世同胞たちが抱く「懐かしい」と感じる思い、郷愁の念は、1世同胞たちにしかわからない。見たこともない私がその心を理解できるはずがないのだ。
それでも、自分の心のなかで「済州島」は特別な存在感がある。○○区のように思い出はないが、「愛着」のようなものがある。初級部のとき、自分の「故郷」が済州島の翰林面というところだと知って、教室に掛けられていた朝鮮の地図から必死に探した。見つけたときは、自分のルーツは朝鮮半島にあるんだ、済州島のここにあるんだ、となんとも言えない感動を覚えた。
ハラボジハルモニがどこで生まれてどのような生活を送り、なぜ日本に渡ってきたのか。そうさせた環境・社会・時代はどんなものだったのか。在日3世の私が済州島を「故郷」だと思うとき、それは同時に自分のルーツを考える瞬間だ。
玄さんのことばを聞いたとき、もっと済州島について知らなくてはと思った。1世同胞の「故郷」とは違っても、自分にとってまぎれもなく大切な場所だ。「故郷」を知ることは、きっと自分自身を知る過程になるだろうと思う。(S)
(写真は初級部の時の夏休みの工作「朝鮮地図パズル」です)
Unknown
こういう感慨って人間にとって大事だと思うな。