戦時中の学籍簿に残る差別の記録
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先月、取材で朝鮮人強制連行真相調査団の日本人側共同代表をされている原田さんにお会いした。1991年から神奈川県朝鮮人強制連行真相調査団の日本人側事務局長として、戦時中に多くの朝鮮人が働かされたという横須賀市の地下壕を中心に、長年調査をされてきた。
ほとんどの人が歴史を知ろうとしたとき、あたりまえのように教科書や本といった資料を手に取ると思う。しかしその資料というものがない無の状態から、どのようにして事実を掘り出すのか。何気なく頼っていた資料や記録というものが本当に貴重に感じられ、また地道な調査をされてきた方々に感謝の気持ちでいっぱいになる、そんな取材となった。
調査方法としては主に現地のフィールドワーク、証言収集、地域の小学校に残されていた戦時中の学籍簿の調査だった。特に学籍簿の調査では、どれだけの朝鮮人の子どもが在籍していたのかはもちろん、親の職業などで朝鮮人がどういう仕事に携わっていたかも見えてくる。そして一番印象的だったのが、教員によって綴られた、朝鮮人の子どもたちに対する差別的記述だ。取材ではいくつか例を聞くに留まったが、「朝鮮人強制連行調査の記録・関東編1」(柏書房、2002)に載っていると聞いて実際に見てみると、想像以上のものだった。
まず、子どもたちの性格などについて記載するにあたって、良く言うにも悪く言うにも「鮮人なれども」「半島人の癖として」などの表現が使われる。
「鮮人なれども真面目によく働く」
「半島人なるもこざっぱりとおとなしい」
「半島なるも素直にして級友間に人望あり」
「半島人と思わざる品位を有す」
「半島人の癖として虚言をなす」
「半島の典型的性質を持ち表裏多き行動をなす」
「鮮人の家庭にしては稀にみるような教育に熱心な家庭」
また当時の日本帝国主義が土地を奪い、職を奪い、日本に渡って来ざるをえない状況をつくりだした責任を感じることもなく、衛生状態や暮らしついて次のような評価をしている。
「いつ入浴したかわからないほど不潔」
「半島人の多く住居する特殊地域」
「家庭に衛生思想足らぬ点あり。普及必要を認む。裏通り鮮人街なり」
さらには容姿にまで、「身体不潔容姿端整ならず」と。
次のような記載からは、教師が国策に沿って「同化させることが、朝鮮人に対して親切だ」と思わされ、また、思い込んでいたことが分かる。
「半島人の精神から内地化させることが我々の教育の目的」
「半島人なるも皆良き人達にて、内地人によく同化している」
とんでもないことに、「常識に乏し、文字きたなし、奉安殿に対し奉る最敬礼が悪い」という記載も。
原田さんは、「きわめて良心的な、そして国家の体制に従順に従った教師たちの多くが、好むと好まざるとにかかわらず、無意識的に、歴史的背景もふまえ(られ)ずに、多くの差別記載を、当然のように行って(行わされて)きた事実は、非常に恐ろしいことである」と指摘している。
記述を読みながら、何度も目を疑い、同時に背筋が凍った。自分がこの記載されている対象だったらと思うとぞっとする。
教育の場(家庭ももちろん)は、子どもたちに「あたりまえが何か」を自然に植え付けると思う。そう考えると、朝鮮人の子どもたちはとんでもない「あたりまえ」のなかで、日常を過ごしていたことが分かる。逃げることができないこのような「差別」という空間で、自身を「いやしい民族」と認識させられる朝鮮人の子どもがいたと考えると、胸が痛い。(S)