さようなら、尹先生
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先週、締め切り直前のあわただしさのなか、取材現場でたびたびお世話になった人の訃報に接した。
東京朝鮮中高級学校教員の尹鐘哲さん。 享年54歳、あまりにも突然の知らせで、亡くなって1週間が経った今も実感がわかない。
4年前の2011年3月に発生した東日本大震災。当時、尹先生は震災で甚大な被害を受けた東北朝鮮初中級学校(宮城県仙台市)の校長を務めておられた。
震災発生の1週間後、私は取材班の一員として現地入りし、1週間あまり学校に寝泊りしながら取材を続けた。学校到着後、招き入れられた食堂の壁に掲げられていた“대지는 흔들려도 웃으며 가자”(大地は揺れても笑っていこう)というスローガン。文面は尹先生の考案だと聞いた。取材者である自分自身も不安な思いを抱えての現地入りだったが、あのスローガンに少なからず勇気づけられた。
現地取材は到着翌日、半壊した校舎の中を尹先生に案内してもらうことから始まった。震災直後の混乱の中、大きな被害を受けた学校の長としての重圧は相当なものだっただろうが、そんなことはおくびにも出さず、つとめて明るく周囲を鼓舞する姿が印象的だった。こちらの少々強引な取材のお願いも聞き入れてくださったことには感謝の言葉しかない。
その後の震災取材でも、またそれ以外にもさまざまな場所で顔を合わせる機会があったが、そのたびに「元気でやっているか」とあの笑顔で声をかけていただいた。
初めてお会いしたのは19年前の1996年、 大学3年時の教育実習の現場だった。福島朝鮮初中級学校に派遣されたのだが、そこで教員をしておられたのが尹先生だった。担当教科である英語の指導教員として、厳しくも愛情にあふれた指導をいただいた。受け持ったクラスの担任が偶然にも中級部時代の恩師で尹先生の夫人ということもあり、ご自宅にも招待いただいたことを覚えている。
早すぎる旅立ちが本当に残念でならない。
つつしんで故人の冥福を祈りたい。(相)