「統一」と「祖父」
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先日、やっと8月号の〆切が終わりました。
8月号の特集は「統一はロマン? ~70年の節目に」です。
8月15日、朝鮮が長い植民地支配からやっと解放された記念すべき日。
それから70周年となる今年、「統一」について考えてみる企画です。
「統一」という言葉を聞くと私は祖父を必ず思い出します。
私の祖父は在日1世で、10代の頃に生きていくために働き場所を探しに日本に渡ってきました。
私が幼い頃、祖父は自分の半生のことをよく話してくれました。
植民地時代がどんなにひどく惨めなことだったか。食べるものもろくになかった。
学校でもっと学びたかったのに、働かなくては生きてはいけなく、働く場所もないから日本に渡ってきたと。
幼いと働かせてくれないため、ごまかすために大きな手袋をして、働くための札をもらったりしたこと。
日本に渡ってからは必死に働きながら、家に仕送りもして、それでも勉強をしたくて、稼ぎながら夜学に通ったこと。
解放した後は自分の仕事場で働いていた同胞たちを祖国に帰すために一勝負打った事。
南に帰った同胞たちからひどい情勢だということを聞き、落ち着くまで待とうと思ったが、そのうちに分断され自身の故郷に帰れなくなったこと。
日本で自分たちの学校を建てようとして困難に直面したとき、北から教育援助費と奨学金が送られてきて、大変感動したこと。
それからの祖父は、自分が裕福に暮らすためではなく、祖国のため、未来の子どもたちのために生涯を捧げた人生だった。
時おり、祖父の母が南から日本に来たりもしたが、祖父自身は故郷には終ぞ帰れなかった。
6.15共同宣言が発表された2000年の2月に還ってしまったから。
2000年4月、私は朝鮮大学校入学式の日に、南北首脳会談が開かれることを聞いた。
入学式の会場がわっと喜びに沸いたあの瞬間、喜ばしい反面、私はすごく悔しかった。
もう少し生きていたなら、この人生最大に嬉しいニュースを聞けたはずだったのに、と祖父の顔がよぎったから。
いつも朝鮮新報を隅から隅まで読んでいた祖父、自身の故郷の話しを感慨深げに語る祖父、いつか統一された朝鮮で堂々と故郷に帰るために、祖国にすべてを捧げた祖父を想うと胸が締め付けられます。
私の祖父だけでなく、きっと多くの1世たちが悲願をかなえられずに還ってしまわれた方が多数だと思います。
その祖父の想いを私たち3世、4世がつながなくては、と切実に思います。
6.15共同宣言、10.4共同宣言の後からは、遠のいた印象もある「統一」ですが、
ロマンとしてではなく、ひとりひとりの実感として、「統一」を感じられる、そんな日が来ることを願いながら今年の8.15を迎えたいです。(愛)
はじめまして
突然すみません。日刊イオをいつも読まさせて頂いております。自分は平凡?な日本人で歴史(近現代史)に興味がありましたが恥ずかしながら第二次大戦以降の朝鮮の歴史については無知でした。実は韓国大好き(文化や芸能、買い物ですが)な妻の影響で数年前に夫婦でソウルを旅行して以来、韓国や朝鮮半島に興味を抱き、ネット等で色々学びました。こちらのブログにもそれで知りました。解放直後に複雑な事情はあったと思いますが、客観的に見てもアメリカが李承晩を無理矢理押し立てなければあの時点で統一は達成出来たと思います。今年の春には済州島も訪れ、四・三事件にも思いを抱きました。自分も含めてですが、こうした歴史を現代の多くの日本人が知らずに『短絡的』に北=悪玉論になっている部分もあると思います。これからも自分なりに韓国・朝鮮問題について学んで行きたいと思います。これからも日刊イオのブログ楽しみにしていますし、出来れば月刊イオの購読も考えています。今後とも宜しくお願いします。
Unknown
(たま)様、コメント下さって、そしていつも日刊イオを読んでいただきありがとうございます。とあるきっかけで興味を抱き、こちらのブログにも足を運んでくださっていることが嬉しいです。
「こうした歴史を現代の多くの日本人が知らずに『短絡的』に北=悪玉論になっている部分もあると思います」おっしゃる通りだと思います。マスコミの悪宣伝に負けず、小さなきっかけから、すこしずつでも分かりあえれば、そんな日本の方がどんどん増えればとても嬉しいです!
どうぞ今後とも宜しくお願いいたします。