一歩外へ出てみると
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数日前、弟が語学留学に行った。一人で海外へ行くのは初めて、且つ数か月滞在するということで、家族で空港まで見送った。
自然と大学2年生のときに行った海外研修を思い出す。私の場合は1ヶ月だけだったが、その時の経験と感じたこと、そこで出会った人たち一人ひとりをかなり鮮明に覚えている。
自分のなかでは「思い出」というより、ひとつの「きっかけ」という形で頭のなかに残っているように思う。自身のアイデンティティについて、今までで一番悩んだ期間だったからだ。
「在日」についてすでに理解がある環境で過ごしていると、もちろん考えることはあってもそこまで悩むことはない。しかし一歩外に出るとどうか。「日本にいるコリアン」ではまったく説明不足だ。こうして考えを巡らせていくと、植民地の歴史、分断の歴史の中で、自分がふわふわと宙に浮いている気分になる。在日は言うまでもなく複雑で、朝鮮半島にルーツを持つ同じ民族だという自覚を持ちつつも、現地に住む人たちと同じではない。在日朝鮮人はどの国に住んでいる人ともイコールではない。海外研修ではこんな考えにふけっていた。自分と「分断」について、現実的に考える「きっかけ」だった。
一方で、今ではこんなことも考える。「朝鮮半島の人にできないことをできる」、「色々な可能性を持っている」という自覚を持っていれば、自分の説明に難しさを感じることもない、在日である自分が「統一」に対して主体になれれば、堂々としていられるのではないか。
ともかく、大学時代のこの経験は、今でも繰り返し思い起こしては考える、大切なものとなっている。(S)
無題
>自身のアイデンティティについて、今までで一番悩んだ期間だった
さらに言えば、生まれてこのかた常に自らのアイデンティティについて、落しどころの無い自問自答を繰り返している圧倒多数の在日の存在を、けっして忘れないでください。