その人の時間を想像する
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(S)さんが以前、「読者へ会いに」の取材で地方の朝鮮学校を訪ねた。取材した生徒は、同級生とともに毎月、イオの連載「レッスン 本場の朝鮮語」を利用しながらウリマルの学習をしているらしい。そんな話を聞いたあと、同ページの編集をしながらふと、(S)さんは毎号この連載ページを見る度にそのトンムのことを思い出したりするのかな、と感じた。
自分も、「日本軍『慰安婦』の肖像」を毎月じっくり読んでいるという同胞女性を取材して以来、同連載を見るとたまに、「被害者たちのことを考えると本当に胸が痛い」と涙ぐむ彼女の顔が浮かぶ。今月号も真っ先にこのページから開いているのかなとか、今回は連載を休んでしまったから残念に思っているかな、という風に。
取材が終わったあと、たまに顔を合わせる人もいれば、会おうとしない限り会えない人もいる(上に書いた女性も伊賀の山奥まで会いに行った)。でも、会話の中に出てきたことだったり、取材した人の職業と関連のあるものだったり、小さなきっかけでその人を考えることはある。もう少し細かくいうと、その人の生活のうち、ほんのちょっとの時間を想像することがある。SNSで写真つきの近況を知れるのもいいけど、そんな見えない時間を考える一瞬も好きだ。
出会う人の分そういう時間が増える。それってとても楽しいことだと思う。(理)