「突然、目の前がひらけて」を見て
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今月13日から、東京・小平の朝鮮大学校と武蔵野美術大学で「武蔵美×朝鮮大 突然、目の前がひらけて」が開催されている。
「突然、目の前がひらけて」展は、武蔵美のFALと朝大の美術棟1階展示室を隔てている壁に橋を架けて、双方のギャラリースペースで展示会を行うという試み。会場では、両校の学生・卒業生からなる制作委員会のメンバーが企画立ち上げ時から重ねてきた対話や準備過程をアーカイブとして辿れるようになっており、作家たちの作品も展示されるというユニークなイベントだ。
開催2日目となる先週土曜日、自分の母校でもある朝大に足を運び、展示会を見てきた。あいにくの雨天だったが、準備段階からSNSなどで話題になってきたとあって会場は盛況だった。
両校に架かる橋そのものがわかりやすくクローズアップされているが、むしろ準備過程における両大の学生たちの対話こそが今回のプロジェクトの白眉ではないかと思えてきた。両者の間で交わされたやりとりの一端は、会場に展示されている付箋のメモ書きで構成されたタイムラインや本展のパンフレット、各種メディアに載った記事やインタビュー(たとえば、https://www.70seeds.jp/musabi-108/)などで見ることができる。
朝大側メンバーである李晶玉さん(朝大研究院総合研究科美術専攻)は前述のインタビュー記事の中で次のように語っている。
決して、綺麗な交流ではなかった、というのが一番面白い部分だと思っています。「橋を架ける」ことをゴールにして、対話を一年間ずっと続けてきたんですけど、そのなかで執拗に全員が分析し続けるんです。自分の考えだとか相手との差異だとか、相手が何を言っていて、それで相対化された自分の形だとか、本当にしつこく分析していました。
会場に展示されているタイムラインやパンフに掲載された対話記録は非常に興味深く、示唆に富んでいる。「橋」や「架ける」といった言葉から連想されるポジティブなイメージとは違い、それは「格闘」と言ってもいいかもしれない。
両校に架かる橋や展示された作品を見て何を感じるか、「壁」や「橋」をどのように解釈するのか、両校の学生たちの対話から何をくみとるのか―。彼女たちが格闘してきたテーマは私たちの前にも開かれている。
展示会は今週の土曜日(21日)まで。「百聞は一見にしかず」、私の拙い説明よりも実際に会場を訪れたほうが100倍多くのことを感じ取れるはずだ。(相)