反ヘイトデモ、「オール川崎」で
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川崎でまたもやヘイトスピーチが起きようとしている。京浜工業地帯を擁する川崎市には植民地時代に多くの在日コリアンが働かされた歴史があり、今も高齢者やその家族たちが暮らしている。その川崎市で、ヘイトスピーチが初めて起きたのは2013年5月。現在まで11回のヘイトデモが行われ、昨年11月8日には、在日朝鮮人が多く暮らす川崎区桜本で「ゴキブリ朝鮮人たたき出せ」などの暴言を繰り返すヘイトスピーチが起きた。デモ隊は、川崎朝鮮初級学校やふれあい館があり、在日朝鮮人1世も多く暮らす桜本地区も通る予定だったが、事前にルートを知った地域住民らの呼びかけで、近隣や市内から約300人が集まり、「抗議の壁」を作った(神奈川新聞から)。
再びデモが繰り返されようとしているなかで、立ち上がったのが川崎の市民たちだ。
昨年末にヘイトスピーチを野放しにせず、川崎市や市議会に対策を求めていこうと「『ヘイト・スピーチを許さない』川崎市民ネットワーク」を呼びかけ、広く賛同者を呼びかけている。ヘイトデモは「共生の歴史を積み重ねてきた私たちへの挑戦だ」として、「オールかわさき」の理念をもとに、18日には記者会見、23日に市民集会を開いた。
記者会見では、川崎の街で外国人との共生に取り組んできた日本市民と在日1、2、3世たちが現状への危機感を吐露した。同年代ということもあるのか、桜本保育園の保育士の平舜さん(41)の言葉に胸がえぐられた。
幼い頃、両親に連れられ、外国人の指紋押捺に反対するデモに参加したこともある。その父親と桜本で「抗議の壁」を作ったさんは、「70歳を超えるアボジの背中を見ながら、私たちはいつまで闘い続けなくてはならないの?と思った。子どもたちにこれを見せる訳にはいかない。未来を生きていく子どもたちのために、差別がなくなるまで闘い続ける」とまっすぐに語った。
父親の重度さん(74)も、「若い人たちの口から朝鮮人を殺す、虐殺するという言葉が出てきたことに、嫌悪感、それ以上に恐怖感を感じる。関東大震災時の朝鮮人虐殺にまでエスカレートしていくのではないかと考えざるをえない。身を守るためには、声をあげるしかないと思っている」「今のうちに何かをしないと悲劇的な状況になる。行政も手をこまねいていいのか。何かすべきなのではないか」と思いを伝えた。
川崎では現在の市長に変わり、県内に2つある朝鮮学校への補助金が減額されるなど、行政による差別も続いている。2010年から始まった日本政府による高校無償化からの朝鮮高校排除が、川崎市にその「お墨付き」を与えている。
11月8日のヘイトデモ現場にいたふれあい館の三浦知人館長が、「事前にルートも知らされず、在特会は警察に守られているようだった」と話すように、現にヘイトスピーチを規制する法律はない。京都で在特会の襲撃を受けた朝鮮学校は厳しい裁判闘争で勝訴を勝ちとったものの、現に憎悪表現はまき散らされている。
それでも、川崎の底力の感じたのは、年末からの呼びかけで地元の桜本商店街や、市議会議員、労組など61団体がネットワークへの賛同を表明したことだ。
川崎で初めてカウンタームーブメントを始めたクラック川崎の前野公彦さん(48)は、「ヘイトデモが増えたのはネットによる在日特権の言説が繰り返されていることが原因。カウンターの市民が声をあげることで、デモ隊が100人、50人以下に減ってきた」と振り返る。
同時に「カウンターも限界にきている」とも。「ヘイトのデモ隊がカウンターと勘違いして老人に殴りかかったり、ヘイトスピーチ条例が可決された大阪市議会では、傍聴席からカラーボールが投げられた。小さなテロはすでに起きている。ヘイトデモをやりにくくする環境を作るべきだ」と行政による歯止めの必要性を語る。
記者会見では、ヘイトスピーチにも「表現の自由」が認められるべきでは、という趣旨の質問があり、げんなりしたが、しっかりと反論する在日コリアンの姿にスカッとさせられた。
「ヘイトスピーチはマジョリティとマイノリティ間の対等な立場の会話ではない。弱者は沈黙せざるをえないことを、しっかり認識してほしい」(キム・スイルさん)
ヘイトデモにより、はかりしれないほど深い傷を負った京都朝鮮第1初級学校が裁判闘争で勝訴したのが14年12月。根絶まで道のりは遠いが、立ち上がった市民の姿に、あきらめず発信せねばと思った。(瑛)