私がアイヌ名をもらったら
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以前、イオで書評を書くため読んだ本に、以下のような内容があった。
―もともと昔のアイヌには、子供に名前を付ける習慣がなかった。物心ついて本人の性格がわかってきた頃に、その子に合った名前をつける。それまでは「チビ」などと呼ぶだけだったという。
(中略)豊岡さんは幼い頃から生活のために廃品回収などの職を転々とし、一〇代からギターを持って海外放浪の旅に出たりしていたが、日本に戻ってしばらくたった二十五歳のとき、アイヌのエカシ(長老)から「サンニョ・アイノ」というアイヌ名をもらった。
これは「考える人」という意味で、「お前は小さい頃から物事を深く考えるクセがある」ということで、エカシにそう名付けられたのだ。(上原善広『被差別のグルメ』より)―
日本では、また私たち在日朝鮮人も、こんな風に育ってほしいという願いや何かしらの意味を込めて名前をつけることが多い。
アメリカなんかは「マイケル」とか「キャサリン」とか、単純に呼び名というか、名前に単語としての意味はなさそうだ。…と思って調べてみたら、聖書やギリシャ神話などから引用されたものが多く、しっかりと意味があるらしい。ちなみに「マイケル」は「神のような」、「キャサリン」は「純粋」だった。
他にもロシアやネパール、中国など、面白くなってつい色々と調べてしまった。
また最近の傾向として、日本だけでなく海外でもキラキラネームが出てきているということも初めて知った。
ニュージーランドでは、あまりに奇妙だったり人を不快にさせる名前は申請却下され、そのリストが去年の5月に公開されたという。中でも驚いたのが「16番バス待合所(Number 16 Bus Shelter)」。一体そこになんの思い入れがあるのだろう…。両親の出会いの場所だったのだろうか。謎は深まるばかり。
アイヌ名のことに話を戻すと、私はこういう名前のつけ方もとても素敵だと感じる。その人の本質を突く名前を一言で表すのだ。つけられた本人はなおさらそれを意識するだろうし、名前と自分がより一体になった感じを受けるのではないだろうか。
私なんかは優柔不断であれこれぐだぐだと考えて結論を出せないから、もしアイヌに生まれても長老にはなれなかっただろう。むしろ、下手をすると「優柔不断」という意味のアイヌ名をつけられていた恐れもある。でも名前をつけられたことで輪をかけて優柔不断になったら困るから、そこら辺は考慮して伸ばしたい部分を名前にしてくれるのだろうか。
あの人だったらどんな名前をつけられるだろう、あの人は…と想像が膨らむ。(理)