思い出は桜とともに
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数年前までは、満開の桜を見て情緒的になるなんてことはなかった。せいぜい、実家の庭に1本だけある桜の木の下で焼肉を食べながら花見をした思い出がほんのり甦るだけである。気温の低い北海道では、毎年5月以降に桜が満開になる。
先日、肩こりがひどいので身体でも動かそうとお昼休みに散歩へ出かけたら、桜の花びらが雪のように降っていた。その中を歩いていると少しずつ涙がにじんできたから、やっぱり思い出が桜に重なっていたんだなーと思った。
一昨年の冬、ウェハラボジ(母方の祖父)が亡くなった。私はその1ヵ月ほど前にハラボジに会っていて、実際にひどくやつれた姿を見てもいた。心配して聞いてみると、ウェハルモニ(母方の祖母)が代わりに「最近お腹を壊してあんまりご飯を食べていないんだよ」と教えてくれた。「心配しなくていいからね」と少し笑って寝室に上がっていくハラボジの後ろ姿に、私は「お大事にね…」としか言うことができなかった。
「ウェハラボジが亡くなったよ」と電話を受けたのは取材先での休憩中だった。肺ガンということだった。心配をかけたくなかったのか、病気のことは秘密にしていたとその時に初めて聞いた。知らなかったとはいえ、もっと気遣ってあげられなかったことがとても悲しく、やるせなかった。
ウェハラボジの家には現在、ウェハルモニとウェサムチョン(母の兄)が暮らしている。今でもだいたい月に1度のペースで遊びに行くと、ハラボジの遺影の周りにはいつもささやかなお供え物と色々な写真が置かれている。その中でも結構大きな写真が、私とハラボジ、ハルモニの3人で散歩に行った時のものだ。確か私が大学を卒業した年だったから、もう4年前になる。
いつもはハルモニと2人で散歩にでかけるのだが、その日はたまたまハラボジも一緒に行こうということになった。ちょうど桜が満開の時期で、石神井公園をゆっくりと一周した。私がデジカメを持っていたので、途中、道行く人にお願いして桜の下で写真を撮ってもらった。「せっかく3人で来たんだし、桜も綺麗だし、思い出に撮ってもらおう」と。
なにか忘れ物をしそうな時、「あとで〇〇忘れないでって言って」と家族や友人に頼んでおいたり、どこかにメモをしたりすると、実はそれだけで頭にはきちんと残っているものである。ハラボジとの思い出を忘れるということではないが、少なくとも「思い出に残す」という行動をしたことで、その日のことが心の中に残っていたのだと思う。
ハラボジ亡きあと、桜の日の思い出はそのままハラボジとの思い出になった。
私がとつぜん他人に声をかけて写真を撮ってもらおうとしたので、ハルモニは「いいよいいよ! 迷惑になるから!」と少し焦っていた。その横でハラボジはただニコニコと笑っていた。ハラボジはいつも本当にほがらかに笑う人だった。そんなハラボジの思い出が桜と重なったのはとても良いことだと、花吹雪の中を通り過ぎながら思った。(理)