夢の世界
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前回、私が昨年8月7日にクモ膜下出血のために倒れたこと、3度にわたる手術を行い2ヶ月以上、意識がなかったことなどを書いた。九州での地震や、朝鮮労働党第7回大会など、様々なことがあるが、今日は、意識がなかったときに見ていた夢のことを書こうと思う。
夢には、いくつかのシチュエーションがあり、それらが順番にあらわれていた。
夢の舞台の一つは病院。ところどころ意識を取り戻して、自分が入院して治療を受けていることは認識していたようだ。手術とリハビリをした病院は東京都足立区にある。倒れていた間、一歩も東京から外に出ていなかったにも関わらず、夢の中では中国地方で入院生活を送っていると認識していた。また、夢の中で病院は海の真横にあり(実際は住宅街の中)、屋上や窓からいつも海を眺めていた。 病院の他に、夢の中の舞台はいくつかあり、広島や朝鮮大学校、大阪の朝鮮学校などが登場した。
広島では連日、同胞たちと宴会をしていた。面白かったのが、お酒が点滴のようにビニールのパックに入れられており天井から吊るされていたことだ。チューブを引っ張り自分のコップに入れてコックを開いて酒を注ぐ。飲みすぎて夢の中で気分が悪くなり吐いたりしていた。
朝鮮大学校では、学生たちが集団ダンス・コンテストを目指して練習に明け暮れていた。東西対抗のコンテストで、朝鮮大学校卒業生の同僚たちが全員、学生の姿で登場していた。
そのほか、ここでは書くことのできない不思議な夢も見ていた。
不思議だったのは、夢ばかり見ていると、意識が戻った後も、夢の世界と現実がごっちゃになり、混乱してしまったことだ。
現実には、子どもは一人(息子)しかいないのに、夢の中では女の子3人を含む5人の子どもがいて、意識が戻った後も5人の子どもがいるものだと思っていた。息子は見舞いに来るのに他の子どもは何で見舞いに来ないのかと不思議に思い、息子に「何で弟妹は病院に来ないんだ」と不満を言ったりもしていた。息子は困ったことだろう。自分の年齢も5歳ほど若く勘違いしていた。
現実と夢の世界がごっちゃになった状態は10日ほど続いた。
客観的に見ると、死の淵まで行き戻ってきたわけで、医師や看護師、家族は命を助けるために懸命だったのだが、しかし、本人はまったくそういうことを自覚していない。
夢の世界をさまよっていたとき、あの世の世界を覗いたとか、三途の川を渡っていて引き戻したとか、そういうことはまったくない。残念なのは、天の声を聞いて何かに目覚めたとか、新たな能力が備わったとか、頭が天才になったとか、そういうことがまったくなかったことだ。
倒れる前と今とでは、身体の具合とか体力とかの部分ではずいぶんと変化がある。健康に対する考え方にも変化がある。今後の生活で、あきらめなければならないことも多いのだと思う。しかし、世界観も人生観も、朝鮮人としての「思想」は1ミリも変わっていない。それが一番良かったのではないか。(k)