中欧3ヵ国を旅して(3)ブダペスト
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少々間が開いてしまったが、中欧3ヵ国の旅行記を再開したい。
前回までは、チェコの首都・プラハから列車でハンガリーの首都・ブダペストに向かうところまで書いた。今回はブダペスト旅行記を。
ブダペストは、ドナウ川河岸に広がり、壮麗な建物が立つ町並みの美しさから「ドナウ川の真珠」とも称される都市だ。ドナウ川といえば、ヨハン・シュトラウスの名曲「美しく青きドナウ」。ドイツ南部に端を発し、10ヵ国を流れ、黒海に注ぐ欧州第2の大河だ。
ハンガリーはアジアの騎馬遊牧民族・マジャール人によって9世紀末に築かれたのが起源で、16世紀にはオスマン・トルコ、18世紀からはオーストリアに支配された。1848年から1918年まで続いたオーストリア=ハンガリー帝国ではウィーンに続く第2の首都で、ハプスブルグ家ともゆかりが深い。
先立って訪れたプラハと同じく、ブダペストもドナウ河岸を中心とした市内の主要地域が世界遺産に登録されている(1987年)。中世の面影をたたえた町並みが美しかった。
まずは、市内が一望できる「王宮の丘」へ。
丘のほぼ中央には歴代の王が戴冠式を行ったマーチャーシュ聖堂がある。
19世紀、オーストリア帝国最後の皇帝と呼ばれたフランツ・ヨーゼフとシシィの愛称で知られるエリザベートもここでハンガリー王、王妃となるための戴冠式を行っている。
内部はこのような感じ。
13世紀に建設されて以来、幾多の変遷を経て町を見下ろすように建っている王宮は火災や侵略、戦争などで破壊・修復が繰り返されてきた。現在は国立美術館や歴史博物館として利用されている。
1903年、建国千年祭に際して建造された「漁夫の砦」。「漁夫」という名前の由来は、中世にドナウ川で漁をする漁夫たちのギルドがここにあり、彼らは市の城壁を守る任務も負っていた、ここに魚市場があったから、など諸説あるが、真相ははっきりしていないという。丘の上にあるのになぜ「漁夫」なのか、というつっこみはしないでおこう。「砦」という名前がついているが、これまで砦として機能したことはないとか。
丘の上に切り立つように建っているため、眺望は抜群。
ドナウ川を挟んで対岸の中央に建っているのが国会議事堂。長さ268m、最大幅118m、高さ96m、総床面積17745㎡、全部で691の部屋がある。とにかく大きい。夜には遊覧船からライトアップされた建物を見ることができる。
ここ以外にも、王宮の丘はブダペストの美しい街並みを一望できるビューポイント。
1896年、ハンガリー建国1000年を記念して造られた英雄広場は市内最大の広場。
夕暮れ時の市内の通り。
ブダペストは、ドナウ川を境に西のブダ地区と東のペスト地区に分かれているが、その両地区を結ぶのがセチェーニ鎖橋だ。吊り橋状の大きな橋で、19世紀半ばに建造された代表的な観光スポット。夜間にはライトアップされる。
この橋や王宮の丘をはじめ市内の名所の多くが第二次世界大戦で大規模な被害を受けた(ハンガリーはナチスドイツについて枢軸国側として参戦)。現在の町並みは戦後の復旧作業によって修復または再建されたものだという。
夜景はドナウ川の遊覧船から見るのもいいが、高いところから一望するのもいいということで、定番スポットに足を運んだ。イタリアから招かれたキリスト教伝道師ゲッレールト司教が初代国王逝去後の1046年に異教徒によって捕らえられ、樽に詰められてドナウ川に投げ捨てられたという話が伝わる「ゲッレールトの丘」。ここから見た夜景が下の写真。
ブダペストの地下鉄も興味深かったので言及しておこう。市内の地下鉄一号線の開通は1896年。ロンドンに次いで世界で2番目に古く、電気式の地下鉄としては世界初だという。(イスタンブールの路線を世界2番目の地下鉄とする見解もあり)。世界遺産に唯一登録されている地下鉄としても知られている。市内のほかの路線が地下のかなり深い部分を走行するのに比べて、1号線は地表面の近くを走っているのが特徴。地上の入り口から階段を数十段降りるともう駅のホームに着いてしまう。日本の地下鉄に慣れているせいか、これには驚いた。ホームの造りもレトロ。(相)
Unknown
こちらのエントリを読みながらふと思ったのですが…。
現在、本誌に『ふぃおぎの絵日記inドイツ』という記事が連載されていますよね。私も毎月楽しみにしています。
ですが、せっかくこういう企画をやるんですから(筆者さんもベルリン在住でいらっしゃるようですし)、「ドイツの『5月8日』は地元ドイツ人の間でどのように迎えられているか」を紹介していただきたいなと思ったりもします。
「5月8日」とは言うまでもなく、連合国とソ連に対しナチスドイツが無条件降伏した日ですが、他国の人々(ましてや日本においてをや)は現代ドイツ人がその日をどのように過ごし、ナチ時代をいかなる形で振り返っているのかを、よく分かっていないと思います。
すでにタイミング的には過ぎてしまっていますし、そもそもこの企画自体に「できるだけ政治的なイシューとは距離を置いたモノにしたい」という明確な編集部や筆者氏の意図があるのなら、私があれこれ注文をつけるのも無粋なのですが。
ただ、せっかく現地在住筆者氏との接点がありながら、そういうテーマに触れないのはむしろもったいないと思いましたので、あえてコメントさせていただきました。
可能なら、なんらかの形でリポートしていただければ幸いです。