無償化裁判、ヘイトスピーチ、沖縄…
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今日は月曜日、一週間の始まりだ。
昨日は、久しぶりに祖父の祭祀に参加し、在りし日を懐かしく振り返った。いつもより人数が多く、そうなると思い出話にますます花が咲く。帰路、家族たちを乗せた車の中で、祭祀に参加しなければ祖父を思い出すこともないと、少々申し訳なく思った。
先週は沖縄で殺された二十歳の女性のことばかり考えていた。
散歩中の女性が強姦され、殺されたことが信じられなかった。しかし、犯人が捕まり、「無事に戻ることを考えていた。何も話すことはない」という家族のコメントが流れると、奪われた命が戻らない現実が押しよせ、さらに、沖縄と在日朝鮮人が日本で置かれた現実とが重なり、どんどん気持ちが沈んでいった。
あさって5月25日は、東京無償化裁判の第10回口頭弁論が東京地裁で11時から行われる。原告の62人は、東京朝鮮高級学校を全員卒業しており、今は後輩たちが裁判や金曜行動を担っている。
毎回、取材に来る記者は私以外にフリーのジャーナリスト一人のみ。大手のメディアの姿はない。6年もの間、外国人学校の中で唯一、就学支援金が支給されないことは、深刻な人権侵害であるにも、この間に教育の機会を奪われた在日の子どもや家庭の生活が回復されることはない。大手メディアはニュースにしないことで、この問題を黙殺している。
「勝利の日までたたかう」と強い意志をもって闘う朝高生や先生、保護者たちの姿に襟を正されながら、かれらの声を世に伝えるのが、役目だと筆をとる。
日本各地の5ヵ所で行われている無償化裁判は、泣き寝入りできないという「怒り」に支えられている。
それは今、女性の死を無駄にしまい、とデモを続ける沖縄の人たちの思いとも重なる。
先週暮れの20日、衆議院ではヘイトスピーチ法案が可決された。明日にも可決される予定だ。ヘイトスピーチ、ヘイトデモが日本社会を壊していく、という危機感は国会議員の中でも浸透されていった。その始まりは、川崎や京都でヘイトデモを受けた被害者の声だった。その姿に私自身も回復されていったように思う。ヘイトスピーチによって、学校を失った悔しさ、「次は本当に殺される」と恐怖を乗りこえ、法案成立を訴える同胞たち…。
6月5日には川崎でまたもや、ヘイトデモが繰り返されようとしている。これを阻止するためにヘイト法成立をどうにか追い風にしたい―。市民たちが、市に警察に働きかけを続いている。
少しでも前へ―。
小さな一歩でもこの社会が少しでも良いものになるのなら、逃さず追っていきたい。(瑛)