李鶴来さんの自伝を読んで
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日本の植民地下にあった朝鮮半島に生まれ、第2次大戦後、戦争犯罪人として裁かれた朝鮮人元BC級戦犯・李鶴来さんの自伝『韓国人元BC級戦犯の訴え―何のために、誰のために』(梨の木舎、4月出版)を読んだ。
李さんは1942年、17歳の時に日本軍の軍属となり、映画「戦場にかける橋」にも登場するタイ-ビルマ間の泰麺鉄道敷設工事で捕虜監視任務についた。戦後、捕虜の虐待などの罪に問われて連合国側に逮捕されると、47年にシンガポールの軍事法廷で死刑判決を受ける。その後、禁固20年に減刑され、巣鴨プリズンに収監。日本独立4年後の56年に釈放された。
朝鮮半島出身の軍人や軍属のうち148人がBC級戦犯として有罪判決を受け、23人が死刑に処された。日本人として罪を負わされ、釈放後は外国人として一連の援護法から排除された李さんら朝鮮人BC級戦犯は91年11月、司法の救済を求めて東京地裁に提訴する。都合8年、最高裁まで争ったが、99年に敗訴が確定した。
朝鮮人元BC級戦犯とその遺族らで組織された「同進会」を率いて60年。李さんは歴代の内閣に救済の訴えを重ねてきた。裁判以降は、立法解決を促す付言判示を踏まえて補償立法を求め続けているが、いまだ実現していない。
本書には、李さんが歩んできたそんな激動の半生が綴られ、被害者であり加害者でもある自らの過去と向き合う姿が描かれている。この問題を長く追ってきた内海愛子さんも解説を寄せている。
2年ほど前に、戦後補償関係の取材で李さんをたずねインタビューしたことがある。「死んでいった仲間たちの無念を晴らしたい。日本政府には、日本国籍がないために一切の補償や援護から排除されるという不条理をただしてほしい。解決するまであきらめるわけにはいかない」。死刑を執行された仲間たちの遺書を片手に語る姿が印象的だった。
存命中の元戦犯は李さんを含めて多くはない。残された時間はわずかだ。
何のために、誰のために―。李さんら元BC級戦犯の心の叫びは、本書のタイトルにもなったこの言葉に集約されているように思える。
「私の頭のなかに常にあるのは、死んだ仲間、その中でも刑死者たちです。彼らは、死刑囚だった私と同じく、誰のために、何のために死ぬのか、苦悶の時を過ごしたはずです。…
故郷を離れ、日本軍の捕虜政策の末端を担わされ、日本の戦犯として責任を負わされて死んでいった仲間たちの無念を多少なりとも晴らすことは、生き残った私の責務なのです。
日本政府は立法を促す司法の見解を真摯に受け止め、立法措置を早急に講じるべきです。…
これは朝鮮人BC級戦犯者の私から、日本のみなさんへの問いかけです」(本文より)
(相)