保育園の思い出
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先日、友人がこんな経験を話していた。
「日本の保育園に通っていた頃、自分だけ朝鮮の名前なのがいやだった。みんながいる前で先生に名前を呼ばれるたびに、恥ずかしくて仕方なかった」
似たような話は他にもよく耳にする。私も朝鮮の幼稚園ではなく日本の保育園に通っていたので、こんな話を聞いたときは、自身の保育園時代を振り返ってみる。といっても、保育園の記憶はまだらで、途切れ途切れ印象的なシーンだけが浮かぶ。それでもはっきり言えるのは、自分が「朝鮮人」だと認識していたことと、それが嬉しかったということだ。
嬉しかった理由も、とても単純。
当時の私は、すべてにおいて、「自分が主人公なんだ」と思い込んでいた。自分だけ日本人でないことは、「自分は特別なんだ!」ということの証拠のようなもので、「朝鮮人」というものに対して過剰にプライドがあったわけでもなんでもない。
周囲との違いを自然とポジティブに捉えられたことは、幸いなことだったと思う。当時の私のモチベーションが偶然にも前向きだったおかげだ。
しかし、今思うと、それもただの「偶然」ではないように感じる。
先生の弾くピアノに合わせて園児たちが歌をうたうのが日課だが、ある日、その歌が朝鮮語だった。のちのち朝鮮学校の初級部で習う、朝鮮の童謡だ。
もちろん、私の朝鮮語能力も「アッパ、オンマ」しか言えないレベルだったので、歌詞の意味は分からなかった。が、「今日は(S)ちゃんの国の言葉で歌をうたいま~す」と先生が説明し、みんなが「へ~!」と驚くようすに、この上ない嬉しさが込み上げたのだった。
私が、朝鮮にいる親せきに会いに行ってきたことを、保育園で熱心に話したこと、卒園式でチョゴリを堂々と着たこと、「卒園したら、朝鮮学校に行くんだよ~!!」と自慢げに言っていたこと…。全部、「偶然」とは言えないと思う。
何一ついやな思いをせず、「特別だ!」と子どもなりに自分を肯定できたことは、きっと保育園の先生、友だちとその保護者、近所のおじちゃんおばちゃんといった、周囲の人たちが作ってくれた暖かい空間があったからに違いない。(S)