いいことを聞いた
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以前、京都の美大で学ぶ同胞を取材した時に興味深い話を聞くことができた。かのじょはある授業で先生から、「君は何かに『出会う』力が少ない」と指摘されたという。
「セレンディピティを鍛えなさい」と。
「セレンディピティってなんですか?」という私の質問に、うーん…と言葉を探していたかのじょは、「なんか、偶然的に出会う幸運っていうことらしいです。本来の目的とは違うけど、面白いと思えるものに出会うこと」と教えてくれた。
「っへー! 面白いね!!」と感心していたら、「それ、今のこれも、記者さんにとってのセレンディピティです」―とどめの一言をもらった。
大学の先生がこのようなアドバイスをするのもすごいな、と思う。技術や作品への具体的な意見ではなく、一見すると抽象的に聞こえる。しかし、かのじょが表現の幅を広げるためにいま一番必要なことを教えたのだろう。かのじょはさっそく、半径5m以内で疑問に思うことを探したり、色々なものごとに関心を持つようにしたそうだ。
最近、私が経験したセレンディピティって何かな?と少し考えてみた。
そういえば、以前ブログで書いた似顔絵作家さんを知ったのもセレンディピティだ。たまたまなんとなく立ち寄った個展会場で、意図せずアボジへの素敵な贈り物が閃いたのだから。(http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/bc5bd5f2cafe8cc860bfd817e4a6c5ad)
試しにセレンディピティという言葉で検索してみると、それを起こりやすくするための方法などが結構出てくる。まとめると、「行動・気づき・受容」が大切とのこと。また、図書館や書店などはセレンディピティが生まれやすいスポットらしい。ふむ。週末はセレンディピティを見つける散歩に出かけてみよう。(理)
Unknown
ん〜…なんというか、少し間違えると「自己啓発系」に迷い込んでしまう気がするのはワタシだけでしょうか。「セレンディピティ」でググって検索結果一覧みた瞬間、そう感じました。wikipediaの関連項目にちゃんと「オカルト」が含まれてるのも、同じような懸念からだと思います(あ、概念そのものを揶揄してるんじゃありませんよ?念のため)。
まあふだんの言葉遣い的に言い表せば、「いろんなアンテナの感度はいつも高めてようね。あと、灯台下暗しなことも多いよ」みたいなことだと思うんです、その意味するところって。
起業支援とかビジネスコンサル界隈なんかは特にワケのわからないカタカナ語があふれ返ってて、ほんと「日本語でおk」と言いたくなります。
そういう言葉や概念を知っても、よく咀嚼して自分のもの(=知恵)にするよう心がけることも大事だよー、と思うわけです。