「和解・癒やし」財団にNO!! ~外務省前で反対アクション
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韓日両政府が被害者の声を無視し強引に行った、昨年12月28日の「最終的かつ不可逆的」な「合意」。中身が抜け落ちたこの不当な「合意」では、「韓国政府が被害者支援のための財団を設立し、日本政府がそれに10億円を拠出する」ことが発表された。
先週の7月28日、韓国政府がこの財団の設立を強行した。その名も「和解・癒やし」財団。設立式は、主人公であるはずの被害当事者たちは誰1人出席せず、政府関係者らだけで行われ、この財団の性格を物語っていた。
韓国では設立当日、記者会見会場を大学生たちが占拠し、「韓日合意 破棄しろ!」と叫び続けた。“和解は、加害者が強行できるものではない! 被害者が望まない合意を実行しておきながら、10億円をもらい財団を作ることは、被害者に対する新たな暴力だ!”
一方、日本国内では、韓日「合意」の問題点に対する認識は希薄だ。それどころか「10億円の拠出が『賠償金』と受け止められかねない」とわざわざこんな懸念すら聞こえる。
「和解・癒やし」財団が設立される前日、日本の外務省前では、「韓日『合意』反対アクション~『和解・癒やし』財団設立にNO!!」と題し、抗議活動が行われた。在日同胞、日本人らが集まり、「日本政府は被害者支援事業を被害国に押しつけるな!」「日本政府は国連勧告に従って法的責任を認めろ!」と声を挙げた。
参加者たちは、朝鮮語と日本語で「和解」「癒やし」と書かれたマスクを付けて街頭に立った。韓日「合意」と財団設立の本質が、「和解」「癒やし」というまやかしの言葉で被害女性たちの声を封じ込めようとするものだということを示すためだ。
参加者たちは、日本軍性奴隷制の被害女性たちの鎮魂をテーマにした映画「鬼郷」の主題歌である「カシリ」という曲を流しながら、被害者への鎮魂の思いを込めた。
「韓国政府も問題だが、自らの国家犯罪に対する法的責任を認定せず、国際法の責務に沿った被害回復措置を全く取っていない日本政府に根本的な問題がある。この「合意」を一斉に歓迎する日本の主要メディア、いわゆる「リベラル」な知識人、それに流されてしまう日本社会の世論は非常に問題である」。主催者は外務省前で反対アクションを行うに至った理由をこう説明した。
「昼食をもてなすからという名目で被害女性たちが財団設立の場に直接来るよう政府が電話をかけ、しかも直接来ればお金をあげるという内容も話された」と、挺対協によって報告されたこの間の出来事にも触れ、「被害女性たちを『合意』の支持者として利用しようという意図が透けて見える」と、韓国政府に対しても強く非難した。
これまで、国際人権条約機関による日本政府への勧告が度々出されてきた。反対アクションでは、なかでも近年出された勧告(2016年/女性差別撤廃委員会対日勧告、2014年/人種差別撤廃委員会、2013年/社会権規約委員会勧告、2014年/自由権規約委員会勧告、2013年/拷問禁止委員会勧告)が読み上げられた。外務省はこのような国連勧告に従い法的責任を認知し、公式謝罪と法的賠償、真相究明や歴史教育、加害者処罰を行うべきだと訴えた。
フリースピーチでマイクをとった、日本人のOさん。「日本政府は二度と同じ過ちを犯さないために、自ら歴史的加害責任を問い、その記憶を継承していかなくてはいけません。それは、苦痛を伴うことかもしれません。しかし、二度と同じ過ちを起こさないための必要な苦痛であると言えるし、未来の希望につながるものだと思っています。韓国でも教科書の国定化が問題になりましたが、その時、韓国の高校生はこうスピーチしていました。『事実は事実として教えてほしい。私たちの判断力を信じてほしい―』。日本でもそのように思う若者は多いのではないかと信じています。日本政府は『合意』の前に真相究明、謝罪、補償、責任者処罰、歴史的教育、歴史の継承をすべきです。ところが日韓『合意』には、真相究明への措置も、再発防止への措置も全く触れられていません。事実認定も曖昧、責任の所在も曖昧、性奴隷制であることも否定。そんな日本政府が、平和を願う少女像について『移転』だの『撤去』だの、言語道断です。被害者を置き去りにして『和解』とうたうこと自体が、『和解』という名の暴力です」。
財団反対アクションをすると聞き外務省前に駆けつけたUさんは、「財団が設立されるという今の状況に絶望的な気持ちになった。日本政府は、最低限守るべき道義と倫理を果たしていない。それはまさにまた同じ過ちを繰り返し兼ねないことに繋がる。言うまでもないが、上っ面の未来志向ではなく被害者の言葉にちゃんと耳を傾けるところから、やり直していかなければならない」。
同じく外務省前で声をあげたIさんはこう話す。「昨年12月の『合意』に失望した。当事者のハルモニたちを無視し政治的な解決を図ろうとしたことに怒りをもった。政治家たちの思惑で被害者たちの思いを踏みにじろうとしていることに怒りが込みあげる。声をあげることを絶やしてはならないと思うし、自分たちのこととして向き合っていきたい」。
多くの人が通り過ぎていく街頭で抗議行動をしながらマイノリティとしての「疎外感」のようなものも感じたという在日朝鮮人のCさん。「日本では、『慰安婦』問題の本質がほとんど理解されず、この問題を自分とは無関係のものとして捉えているように感じる。これも日本社会の1つの暴力構造だと思う。『伝える』ということは簡単なことではないが、地道に声をあげたい」。
現在韓国では、韓日「合意」に基づく財団に反対し、日本政府の拠出金ではなく市民の力による「正義と記憶」財団が立ち上げられ、募金運動が行われている。外務省前での反対アクションでは、同財団へのカンパも呼びかけられた。(S)
Unknown
>この「合意」を一斉に歓迎する日本の主要メディア、いわゆる「リベラル」な知識人、それに流されてしまう日本社会の世論は非常に問題である
これ、昨今の日本や韓国における一般的意味での社会政治的問題を語るにおいても、ひじょうに見過ごされがち、かつ重大な問題点だと私は考えています。
そのキモとなる存在こそ『いわゆる「リベラル」な知識人』です。
リベラルな言説を説く知識人やなんらかの運動体が、その理路にある種の「ねじれ」をはらむことによって、実は極めて反動的な支配層側のイデオロギーを内面化してしまっているケースが、ここ数年散見されます(ほとんどの場合、当人たちに悪意はない)。
分かりやすい例としては、鄭栄桓・明治学院大准教授が現在厳しく批判している、朴裕河・世宗大学校教授の「慰安婦著作」の内容と、同教授自身やその取り巻き(日韓・在日問わず)の思考パターンが挙げられるでしょう。
ここでの具体的な指摘は避けますが、実際のところ貴誌の誌面でも、そのような性格の「リベラル」や「進歩的○○」の名が記事中で言及されてしまっている(必然的に肯定的存在として)例も時折あり、一読者としてヒヤヒヤすることがあります。
貴編集部におかれては、その読者対象が様々な層にわたっているだけに、くれぐれもお気をつけいただければという老婆心からのコメントでした。